日本は、よい政治(善政)なのか、悪い政治(悪政)なのか―よい社会なのか、悪い社会なのか

 社会が悪い。政治が悪い。ある人が不幸だったり苦しんでいたりするさいに、そうしたことを言ってはいけないのだろうか。社会や政治が悪いのだと言ってはいけないのだろうか。

 社会は、よし悪しとは別に、大きさもある。大きい社会と小さい社会だ。日本はそんなに大きい社会とはいえず、小さい社会のところがある。小さい社会なのは、日本は新自由主義(neoliberalism)が強いからだ。自己責任の社会だ。

 政治については、それを、連続性(analog)によるのではなくて、離散性(digital)によって見てみたい。

 離散性によってみてみると、二つの図(絵)をもち出せる。一つは、すごいよい政治が行なわれていて、人々がみんな幸せになっている。不幸になる人がまったくいないか、もしくは少ない。これが理想のあり方だといったことが現実化している。

 もう一つには、すごい悪い政治が行なわれていて、人々が幸せになれない。みんなが不幸だったり、または多くの人が不幸だったりする。これが理想だとするものとじっさいの現実とがへだたっていて、(理想と現実とのあいだの)ずれやみぞがとても大きい。

 きょくたんではあるし、たんじゅん化しすぎではあるけど、対照となる二つの図を政治ではもち出せる。善政か、悪政かだ。

 いまとかつての、いまかつて間(かん)の、時間の流れの交通によって、日本の国の政治を見てみたい。

 戦前の日本は、善政だったのだとはいいがたい。悪政だったのがあり、それによって多くの人が不幸になり、多くの人が死ぬことになった。

 戦後になって、日本では善政が行なわれるようになったのかといえば、そうとは言い切れそうにない。あいかわらず悪政がつづいたけど、戦前よりは多少はましになった。戦後につくられた日本の国の憲法がよいものだったから、それがよく働いたのがある。

 経済がすごい良くなって、すごく成長したのが戦後の日本だけど、国の政治が善政だったのかといえば、そうとはいえないのがあり、政治で悪いところが少なからずあった。探せば、政治で悪いところが色々にあった。

 戦前の日本は、悪政であり、仁政でもなかった。(儒教でいわれる)不仁だった。戦後はそれが少し改まり、仁政になったところがある。仁の字は、人が二人となっているのがあって、人どうしの交通ができているありようだ。

 戦後は少しは仁政になったところがあるけど、それがしだいにこわれていって、いまは仁政ではなくなっている。不仁になっている。それがいまの政治だろう。戦前の日本のように、悪政であり、かつ不仁になっているのだ。

 仁政だったら、包摂のあり方だ。人どうしの交通がなりたち、野党などの反対の勢力(opposition)があるていどよしとされる。

 不仁だと、人どうしの交通がなりたたなくなり、野党などの反対の勢力が包摂されない。反対の勢力が排除されてしまう。じゃまなものを排除するあり方だ。

 いまの日本が、はたしてよいのか悪いのかは、客観に言うことはできそうにない。あくまでも主観にとどまるものだけど、きびしく見てみれば、戦前のように、悪政になっていて、不仁になっている。

 いまの日本の政治が、善政であり、仁政であるとするのは、ちょっと苦しさがある。善政であり、仁政であるとするのは、戦後のすぐのころであれば、まだたしょうは言えたかもしれない。

 たとえ戦後のすぐのころであったとしても、善政であり、仁政であるとするのは、苦しさがあった。日本の国の政治をもち上げて、ほめるのは、苦しさがあったけど、かつてのときよりもなおさら苦しさがおきているのが、いまの日本の政治だろう。

 いろいろな見なし方ができるから、たった一つの見なし方だけによるのではないようにしないとならない。それがあるけど、なんでいまは悪政や不仁になってしまっているのかといえば、一つには、国の政治の難易度が上がっているからだろう。

 かつては、利益の分配の政治ができていたから、政治の難易度はそこまで高くはなかった。戦後のすぐのころからしばらくのあいだは、利益の分配の政治ができていた。

 いまは、不利益の分配の政治をやらないとならないから、政治の難易度が上がっていて、それで悪政や不仁になっている。政治の難易度が上がっている中では、不快さがおきやすいのがあり、快くない。不快さがある中で、なんとかもちこたえて、思考をしつづけるのは大変な作業だ。不快さに耐える力がいる。打たれ強さがいる。

 日本の国の政治家は、打たれ強さがない。不快さに耐えられなくなっている。不快さがすごく強まっているのがある中で、それに耐える力がないから、悪政や不仁になってしまっている。権力をもった国の政治家の、打たれよわさがわざわいしているのである。

 かつてよりもどんどん打たれよわくなっていて、反対の勢力を排除するのが強まっている。打たれよわいのだと、めんどうくさい(と感じられる)とちゅうの議論なんかをやらなくなってしまい、最短の距離を走ろうとしてしまう。善政がなされることをのぞみづらい。

 参照文献 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『精神分析 思考のフロンティア』十川幸司(とがわこうじ) 『打たれ強くなるための読書術』東郷雄二 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『きみがモテれば、社会は変わる 宮台教授の〈内発性〉白熱教室』宮台真司(みやだいしんじ) 『一冊でわかる 政治哲学 a very short introduction』デイヴィッド・ミラー 山岡龍一、森達也訳 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)