家族を重んじることは良いことなのか―家族と、戦後の家族の型とのちがい

 家族を重んじる。韓国の新宗教(旧統一教会)は、それをかかげていて、日本の政治に入りこんでいる。

 いっけんすると、家族を重んじるのはよいことのようだけど、はたしてそれは本当に良いことなのだと言えるのだろうか。

 日本では、戦後において、家族の型がとられた。男性が優で、女性が劣のものだ。しばらくのあいだはその型でうまく行っていたようなところがあるけど、いまではそれがうまく行かなくなっていて、型がこわれている。

 かつてにおいては、戦後における家族の型がうまく行っていたようなところがあったけど、もともとの型のあり方にまずさをかかえていた。はじめから負のところを抱えていて、はじめのころは負のところがそこまで表面化しなかった。

 いまでは家族の型がこわれていて、型がもっている負のところが表面化してきている。家族を大事にして、それを重んじるのだとしても、家族の型がこわれてしまっているし、型がもともともっている負のところを無視することができなくなっている。

 戦後のはじめのころに、家族の型がつくられたのがあるけど、それよりももっとさかのぼってみると、戦前のころにも家族が重んじられていた。戦前のころは、家族がすごく重みをもっていたのがあり、国が一つの家族だとされていた。国の家族の長にあたるのが天皇だった。

 さかのぼってみると、戦前においては、国が一つの家族だとされていて、その長が天皇だったのがあり、悪いあり方になっていた。家族の長である天皇にはさからうことができなかった。国が家族だとされていて、その家族のあり方にはそうとうに大きな負のところがあった。

 戦前のあり方が少し改められて、戦後には家族のあり方が少し改善された。戦前ほどには、家族が重みをもつのではなくなったのがあるけど、それでもまだ家族がもっている負のところがすべて無くなったのではなくて、まだまだ負のところを色々に抱えつづけている。

 すごい悪い家族のあり方だったのが戦前だけど、戦後になって、それが少しだけ反省された。少しだけ反省されて、少し改善されたのがあるけど、まだまだ負のところが残りつづけている。

 もっとどんどん反省して、どんどん改善して行けばよいけど、それがなされていない。戦前の家族のあり方を批判して、戦後の家族の型のあり方を批判して行ければよいけど、それがあまり行なわれていなくて、むしろ家族を大事にしようとか、家族を重んじようとかいったことになってしまっている。

 いまとかつてのいまかつて間の、時系列で見てみると、かつての戦前の日本の家族のあり方はすごく悪かったのがあり、国も家族だとされていて、それもまた悪いあり方だった。そのことを想起するようにして、忘却化しないようにしたい。

 かつての戦前のあり方を想起してみると、家族や、家族だとされていた国のあり方がすごく悪かった。その悪さがあって、さらに、その悪さがあまり反省されなかったのもまた悪かった。十分に改善されたとまでは言えないのがあるから、その悪さもまたあるのである。

 戦前から戦後になって、ちょっとだけ家族のあり方が反省されて、少し改善されたから、それは良いのはあるけど、まだまだ反省や改善が不十分だ。それらが不十分なままで、戦後の家族の型が作られて、それがはじめのうちはいっけんするとうまく行っているようだった。はじめのころは、家族の型がもつ負のところがそこまで表面化しなかったのである。

 いまでは、戦後の家族の型がもつ負のところを隠し切れなくなっている。その中で、家族を大事にしようとか、家族を重んじようとしてしまうと、型がもっている負のところを隠すことになってしまう。負のところを遮(しゃ)へいすることになり、おおい(cover)をかぶせて見えなくさせることになる。

 負のことを遮へいすることになったりおおいをかけたりすることになるのが、家族を大事にすることや、家族を重んじることにはある。

 負のことを遮へいしたりおおいをかけたりしてしまうと、戦前のいちばん悪い家族のあり方をふたたびとろうとする危なさがおきてくる。その危なさがおきてくるのは、戦後の家族の型がこわれていて、ではどうするのかとなっていて、戦前のあり方をまたふたたびとろうとする手がとられてしまうことになるからだ。

 いまは、くぼみ(niche)にはまっているのがあり、くぼみから脱するさいに、また戦前のいちばん悪いあり方をとろうとしている動きがある。戦前のあり方はいちばん悪かったけど、それを美化している。

 戦前を美化することによって、(戦後の家族の型がこわれていることによってはまりこんでいる)くぼみから脱しようとする動きがあるけど、それだと、さらに深いくぼみにはまりこむことにしかならない。くぼみから脱するためには、かつてをさかのぼってみて戦前のあり方をしっかりときびしく反省して、脱構築(deconstruction)や再構築をさぐって行くことがいる。

 参照文献 『社会を結びなおす 教育・仕事・家族の連携へ(岩波ブックレット)』本田由紀 『家族はなぜうまくいかないのか 論理的思考で考える』中島隆信 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『悩める日本人 「人生案内」に見る現代社会の姿』山田昌弘脱構築 思考のフロンティア』守中高明