高額納税者は選挙で二票を投じられるのがよいのか―高額納税者はほかの人よりも人としてえらいのか

 高額な税金を払っている人は、選挙で一票ではなくて二票を投じることができるようにする。そうしたほうがよいのだとツイッターのツイートで言われていた。

 ツイートで言われているように、高額納税者はたくさん税金を払っているのだから選挙で一票ではなくて二票を投じられるべきなのだろうか。それについては、税金のあり方と選挙のあり方の二つを改めることができそうだ。

 税金のあり方では、税金を払う絶対額だけではなくて比率の点もあるだろう。絶対額としてはそれほどではないとしても、比率としては重いといったことがある。低所得者に逆進性がはたらくものがある。社会保険料(実質としては税金)などだ。

 会社員として会社に属して働いている人は税金を源泉徴収されている。このしくみだと納税者としての自覚をもちづらい。主体として納税者であると自覚させないようなしくみに日本の税のあり方はなっているとされる。そのあり方を改めるようにして、一人ひとりが主体として納税者であるといった自覚をしっかりと持てるように仕組みを改めることがあったらよい。

 選挙のあり方では、公職選挙法はいまの時代に合っていないところが少なくない。戦前の大正の時代につくられて、そのあり方がいまだに引きつづいている。戦前のころはお上である役人が上に立つあり方だったのがあり、そのあり方がいまにも引きつづいている。役人が上に立ち、有権者が下になってしまっているのだ。

 戦後になってすべての人に選挙で一票が与えられるようになった。これは民主主義の平等の理念から来るものだ。すべての人が一票を与えられずに差がついてしまうと、民主主義のあり方から遠ざかってしまう。遠ざかるのではなくて、近づいて行くようにするべきだろう。

 現実には一票の格差があるから、正しくは一人一票(one person,one vote)にはなっていないのがあるが、それをできるだけ一人一票になるように近づけて行く。それは政治がよりよくなるための十分条件とはいえないが、必要条件の一つだとは言えるだろう。

 すべての人が一票を投じられるようにはなっているが、それはじっさいには少なからず放棄されている。合理の棄権があるためだ。選挙で投票をしないで棄権することには合理性がある。そこに合理性がおきてしまうのがあるから、そこをできるだけ投票に向かうようにうながして、投票率が少しでも上がるようにしたいものである。

 民主主義によるようにするのであれば、一人一票であることは前提条件の一つだろう。平等にみんなが一票ずつを投じられるのがのぞましい。その中で政治のあり方を少しでもよりよくして行くように努めて行く。そのことが大切なことだと見なしたい。日本では、税の仕組みを改めたり、選挙の仕組みを改めたりして行く。

 主体として納税者の自覚をしっかりと持てるようにして行く。社会の中のさまざまな有権者の多様な民意を十分にすくい取れるようにして行く。とりわけ目を向けられづらい社会の中の少数者や弱者の民意がしっかりとすくい上げられるようにして行きたい。多数者や強者の意見ばかりがまかり通るようではよくないものだろう。

 参照文献 『官僚は失敗に気づかない』平野拓也 『デモクラシーは、仁義である』岡田憲治(けんじ) 『日本の危機 私たちは何をしなければならないのか』正村公宏(まさむらきみひろ)