障害者は文句を言わずに感謝するようにするべきなのか―社会の排除と包摂と等生化(normalization)

 声をあげるよりも感謝をせよ。障害者の人は不満の声をあげるのではなくて満足をするべきだ。そう言われているのがある。そこで言われているように、障害者は不満の声をあげてはならないのだろうか。いまのあり方に感謝をしなければならないのだろうか。

 民主主義においては、たとえ健常者であれ障害者であれ、どのような人であったとしても、不満の声をあげられることがいる。不満の声をあげずに感謝するようにするべきだとするのは、心でっかちなあり方だ。精神論になっている。

 感謝をするように強いるのは心でっかちなものであり、そうではなくて制度を改善して行くべきだろう。障害者に心でっかちなあり方を強いるのではなくて、不満があるところをどんどん言ってもらう。批評(criticism)をしてもらう。健常者では気がつかないところに気がついてもらうようにする。日本の社会のあり方を等生化(normalization)するさいにいることだ。

 健常者だけが包摂されて、障害者は排除されてしまう。そうならないようにして、障害者も十分に包摂されるようにして行く。そのためには障害者に感謝を強いるような心でっかちなあり方ではなくて、健常者の側が変わらなければならない。健常者の側が変わるようにしなければ等生化ができない。障害者が十分に包摂されるようにならない。

 障害者が不満の声を自由に色々に言えるようにして行く。それを受けて健常者の側が変わるようにすることが等生化が意味することである。交通においては、健常者の側が変わることによって、障害者が包摂されやすくなれば、異交通になる。日本の社会には異交通が見られず、健常者が優位に立ったあり方になっていて、障害者が十分に包摂されているとは言えそうにない。

 日本の社会は心でっかちになっていて、精神論のところが大きいために、異交通ができていない。たとえ制度に足りないところがあったり、環境に悪いところがあったりしても、不満の声をあげづらい。不満の声をあげたとしても十分にすくい上げられづらい。等生化が十分にできていなくて、健常者の側が変わらないままでいるのである。そこを改めるようにして、健常者の側が変わるようにして行く。そうして行かないと、障害者が十分に生きて行きやすいようになりづらい。

 障害者が十分に生きて行きづらい社会は、健常者もまた生きて行きづらい社会と言えるだろう。おたがいのあいだに相互作用がはたらくことからするとそう言えるのがあり、おたがいのあいだの交通をおこさせるようにして、よりよい等生化されたあり方になって行くような異交通になることを目ざすべきだと見なしたい。

 参照文献 『社会的排除 参加の欠如・不確かな帰属』岩田正美 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『きずなと思いやりが日本をダメにする 最新進化学が解き明かす「心と社会」』長谷川眞理子 山岸俊男福祉国家から福祉社会へ 福祉の思想と保障の原理』正村公宏(まさむらきみひろ) 『心理学って役に立つんですか?』伊藤進