若者はワクチンを打ちたがらず、感染の検査をしたがらないのか―ワクチンや検査への信頼性

 若者はワクチンを打ちたがらない。感染の検査をしたがらない。与党である自由民主党菅義偉首相や、小池百合子都知事や、感染症の専門家はそうしたことを言っていた。

 ワクチンを若者に打ってもらうために、東京都の渋谷区に接種会場をつくり、若者をつのった。ワクチンを打ちたい若者はたくさんいて、長蛇の列がおきたという。

 若者はワクチンを打ちたがらず感染の検査をしたがらないのは、ほんとうのことなのだろうか。渋谷区の若者へワクチンを打つ接種会場で長蛇の列ができたことを見るかぎり、ワクチンを打ちたいとのぞむ若者は少なくなさそうだ。

 あらためて見てみると、若者はどの年齢からどの年齢までなのかがよくわからない。若者と言っただけではくくりが雑だ。

 若者の世代だけ、ほかの世代とはちがったあり方をしているとは見なしづらい。同じ日本の社会の中で生きているのだから、若者の世代だけがほかの世代とは大きくちがうことはあまりないものだろう。どの世代であったとしてもだいたい類似性をもつものだろう。もしも、世代ごとに大きなちがいがあるのであれば、社会の中が分裂していることをしめす。世代どうしで対立がおきているおそれがある。

 一つの世代の中にはいろいろなちがいをもった人たちがいるのだから、世代の中に含まれているそれぞれの人を個別に見て行くべきだろう。世代の中にどういった人たちがいるのかを見てみられるとすれば、ワクチンを打ちたいとしている人もいるだろうし、そうではない人もいるだろう。いろいろな人が混ざり合っている。

 いまは科学技術が大きく進んでいる時代だから、そのことをくみ入れられるとすると、科学技術の産物であるワクチンにたいして、それを受け入れることが少なくないものだろう。さまざまな科学技術の恩恵をうけて文明の生活を営んでいるのが現代人だ。科学技術による害もまた大きいのは確かではあるが。利益と害がとなり合わせになっていて、裏表になっている。

 おなじ科学技術の産物では、いろいろな医療の薬がつくられている。それと同じようなものがワクチンだろう。病気の症状が出たときに薬を用いることはよく行なわれることだ。どの世代であったとしても薬を用いることにそれほど抵抗があるとは見なしづらい。

 どちらかといえば、適したときに適しただけ薬を使うといったことよりも、むしろ薬に頼りすぎてしまっているのがある。薬づけになっている。製薬業界が薬をたくさんつくってたくさん売ってもうけようとしていることから来ている。

 製薬業界の悪いところはひとまず置いておけるとすると、薬を使いすぎているくらいなのだから、それと同じようなものであるワクチンにだけ大きく抵抗するとは見なしづらいものだろう。

 新しくつくられたのがワクチンだから、まだ確かめられていない危なさがあることが言われている。危なさでは陰謀理論が含まれてしまっているのがあるが、すべての人が陰謀理論に染まっているのではない。すべての若者が陰謀理論に染まっているとはいえないから、ワクチンの利点と欠点を比べてみて、利点のほうを取ろうとする人も少なくはない。

 ワクチンや感染の検査は、科学技術による産物であり、科学技術を信頼しているのであれば、それらを受け入れることになる。ワクチンや検査に価値を見出している若者はそれほど少なくはなさそうだ。

 いくつかの段階に分けてみれば、一か〇かだけではない見なし方がなりたつ。まったくワクチンを受けたくないとか検査をしたくないといったことであれば〇だ。ワクチンや検査を受けたいのは一だ。一と〇だけなのではなくて、その中間もあるから、けっこう受けたくないとか、すこし受けたくないといったことがある。

 何が何でもいやだといったことであれば信念として反対している。ゆるぎない信念としてワクチンを打つのがいやだったり検査を受けることがいやだったりする人はそれほど多くはなさそうだ。

 たとえば、自分がつとめている会社で義務として強制でワクチンを打たなければならないとして、ワクチンを打つくらいだったら会社を辞めるといった人はそれほど多くはなさそうだ。若者をふくめておおかたの人は、会社を辞めるよりはワクチンを打つのを選ぶのではないだろうか。そうであれば、信念としていやだといったほどではないことをあらわす。

 どの世代であったとしても、一定数の人たちはワクチンや検査を受けたくなくて、一定数の人たちはそれらを受けたい。ほかの世代と同じように若者の世代もまたそういったようになっているものだろう。一定数のワクチンや検査を受けたい人たちに、それらが受けられるように整える。そこが大事な点であり、一定数の積極性がある人たちに受けてもらえるようにして行く。

 世界の冗談で、こういったものがある。してほしいことがあるさいに、アメリカ人にたいしては、あなたがこれをやれば英雄になれますよと言えばそれを行なう。ドイツ人には、あなたがこれをやるべきなのはそれが決まりだからだと言えばそれを行なう。日本人には、あなたのほかのみんながこれをやっていますよと言えばそれを行なう。この冗談を当てはめてみると、若者にたいして、ほかのみんながやっていますよといえば、それを行なう見こみはそう低くはないかもしれない。

 世代として若者が悪いのだとしてしまうと、人に原因を当てはめることになるが、それだと基本の帰属の誤り(fundamental attribution error)になる。人の内に原因を当てはめるのと、その外の状況に当てはめるのがあるから、内だけではなくて外を見て行くことが欠かせない。首相や都知事は、人の内に原因を当てはめてしまっているから、基本の帰属の誤りにおちいっている。よくありがちな誤りだ。たんにワクチンや検査の供給が足りていないのがあるのだから、人の内ではなくて外の状況に原因があるといえるだろう。

 参照文献 『クリティカル進化(シンカー)論 「OL 進化論」で学ぶ思考の技法』道田泰司 宮元博章 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや)