与党である自由民主党の政権が日本学術会議をなくそうと(民営化しようと)することと、もれなくだぶりなくの MECE―政権がやっていることはもれがありすぎでかたよりすぎている

 悪しき前例を改める。既得権益をなくす。閉じたあり方でないようにさせる。日本学術会議はそうしたものに当てはまるのだと、与党である自由民主党菅義偉首相は会見においてほのめかしていた。

 たしかに、菅首相が言うように、悪い前例だったり既得権益だったり閉じたあり方だったりしているものは見直したり改めたりすることはあってもよいことだ。それをするさいに、あつかいが公平になることがいる。公平さがいる中で、日本学術会議のことだけをことさらにやり玉にあげることはふさわしいことなのだろうか。

 もれなくだぶりなくの MECE(mutually は相互に、exclusive は重複せず、collectively は全体として、exhaustive は漏れがない)によることがいるとすると、菅首相による政権がやっていることはもれがありすぎる。そこからいちじるしいかたよりがおきている。

 なにか悪いものを改めるために何かをとり上げるのであれば、やりやすいことをとり上げるのではなくて、やりづらいことをとり上げるようにしたほうがよい。やりづらいこととは何かといえば、それは勝者にとって不利になったりマイナスになったりすることだ。勝者にとってプラスではなくてマイナスにはたらく結果を導くものをとり上げる。勝者にとってやりやすいことやプラスになることをとり上げても根源から何かを改めることにはなりづらい。

 自民党の政権は自分たちが勝者だとしていて、そこからおごりが出ているために、勝者にとって不利になったりマイナスになったりする結果を導くようなことをとり上げて改めようとはしない。そこについては放っておいて、目をつむる。勝者である自分たちがそのままでいつづけられるようにしておく。それでほかのものについてを改めようとするから、かたよりがおきることになる。

 選挙で勝つことで自民党は勝者になるわけだが、勝者にとって都合がよいようにしつづけることで、法がねじ曲げられることがおきてくる。ほんらい法は勝者にとって都合がよいようにしてはならず、敗者(弱者)を重んじなければならないが、それができていない。勝者と敗者の階層(class)の差が固定化してしまう。そこから問題がおきてくる。法を軽んじたりねじ曲げたりする問題だ。

 菅首相による政権が日本学術会議をなくそうと(民営化しようと)しているのは、根源から何かを改めようとしているのではない。もれなくだぶりなく公平にものごとを改めて行こうとしているのではない。勝者と敗者のあいだの階層の差を和らげようとするものではなくて、その差を広げて固定化させようとする思わくだ。

 勝者は勝者のままで、敗者は敗者のままでいさせようとする。自民党の政権にはそれが見られるので、表面的なものごとの見なし方になっていて、根源からのことができていない。それを改めるようにして、壊されてしまっている自由民主主義(liberal democracy)による公平なあつかいによるようにして行きたい。

 なにか目についているものだけをとり上げてそれをやり玉にあげるだけでは、そのやり玉にあげているものを印つき(marked)にすることにはなるが、印つきと印なしとのあつかいが公平にはなりづらい。ただの前例と言うのなら印はつかないが、あるものだけを悪しき前例とするとそのものに印がつく。

 やり玉にあげて印つきにするのであれば、勝者にとって不利になったりマイナスになったりする結果を導いて勝者が力を失うことになるようなものを一番にとり上げるようにして行く。勝者がますます力をつけたり力を保ちつづけたりすることをうながすようなものでははなくて、それと逆に勝者にマイナスにはたらくようなことをとり上げるのであればまだ意味あいはあるだろう。

 勝者を勝たせつづけるのをうながしていると、敗者は敗者のままになりつづけてしまう。敗者が排除されることがますますうながされてしまう。そこを包摂するようにして行く。勝者にとって不利になったりマイナスになったりする結果を導くようないろいろな穴があり、それらをおおっている見えなくさせるためのフタを引きはがす。遮へい物のフタのおおい(cover)をとり外す。そのフタのおおいをそのままかぶせつづけて、いろいろな穴が空いているのを見えなくさせることが、勝者を勝たせつづけるのをうながすことだ。

 自由民主主義によるようにして、勝ったり負けたりの競争がおきるようにして行く。そうすることによって勝者は勝者としてしたて上げられたり基礎づけられたりすることを防ぐ。敗者は敗者としてしたて上げられたり基礎づけられたりするのを防ぐ。

 勝者は勝ったのだから何でもやってよいとなると、そこに歯止めがかからない。政治の時の権力がやりたい放題になる。それは立憲主義(憲法主義)ではなく、自由民主主義によるのだとは言えそうにない。専制主義や権威主義のあり方だ。抑制と均衡(checks and balances)が働かないことによって、効率はよいが適正さを欠く。まちがった方向に向かってつっ走っていってしまう。

 一部の者に有利になってしまっていて、広く公平に門戸が開かれていないと、新しい空気が入ってこない。古い空気がよどむ。政治の新陳代謝がはたらかない。そこには勝ったり負けたりの競争性と包摂性があるのだとは言えそうにない。日本の政治の世界はそうなっているところがあり、(日本学術会議よりも)それこそが閉じたあり方だろう。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『法とは何か』渡辺洋三 『語彙力を鍛える 量と質を高める訓練』石黒圭 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)