日本に文句を言う人は、日本から出て行くべきなのか―とりわけ年収が低い人は、日本に文句を言うべきではないのか

 日本にたいして、文句がある。そうであるのなら、その人は日本から出て行くべきだ。テレビ番組では、そう言われていた。

 とくに年収が低い人(八九〇万円より以下の人)で、日本にもんくがある人は、日本から出て行かないとならないのだろうか。文句がありながらも、日本にいてはいけないのだろうか。

 事実と価値にふ分けしてみると、文句があるのは、何々であるの事実(is)だ。文句がないのも、事実に当たる。

 事実から、何々であるべきの価値(ought)を自動でみちびくのは、自然主義の誤びゅうだ。

 たとえその人が日本にたいして文句があるからといって、その文句(の内容)に価値がないとは言い切れそうにない。

 少しも日本にたいして文句がない人がいるからといって、文句がないことに、価値があるとは言い切れないのがある。

 文句がないのは、きちんと日本のありようを注意ぶかく見ていないことによるだけかもしれない。注意ぶかく日本のありようを見てみれば、色々な文句がおきてくる見こみがある。日本に関心をもち、自明性の厚い殻(から)をこわしてみれば、なんらかの文句がおきてくる。

 何かを言うのは、何かを思っていることによる。何かを思うのは、その人の心の内の自由である。思想や信条の自由(freedom of thought)だ。好きに心の内で色々なことを思ってよいのがあり、文句を思う自由がある。

 あれを思えとか、あれを思うなとするのだと、その人の心の内に入りこむことになり、思う自由がうばわれてしまう。だれでも好きに色々なことを思う自由があることがいる。

 日本の国は有るとは言えるけど、それは事実に当たるものだ。有るとは言えるのはあるけど、日本のありようがよいか悪いかは、決めつけづらい。日本のありようがよいか悪いかは価値にまつわることであり、それは客観や本質では見なしづらい。

 できるだけ個人の自由がよしとされるのが、よい国のあり方だ。個人の自由が良しとされたほうがよいのがあるので、日本の国のことをどう思おうとも、それは個人の自由にまかされたほうがよい。

 思ったことを、言うことができないのだと、個人に自由がないことになる。思っていても、それを言えないのだと、表現の自由(free speech)がない。

 思ったことを言えるのであれば、色々なことが言われることになる。日本にたいする文句もいっぱい言われる。文句を好きに言えるほうが、自由な市場であることになるから、市場としては健全だ。思想(idea)の市場がまっとうだ。

 国に文句を言えないのであれば、市場が不健全であるのをしめす。中国やロシアなんかは、国にたいして文句を言えないから、市場が不健全だ。国がまちがった方向に進んで行きやすい。

 すごいよい国なのが日本だとして、日本のことをほめる。日本に文句を言うのではなくて、日本をほめるのは、よいことだとはいえそうにない。国をほめるだけだと、市場がゆがんでしまう。市場に自由があるとはいえない。国をほめてしまうと、外発の動機づけになってしまい、ほめられるからやる(ほめられることしかやらない)といったふうになり、悪くなる。たとえほめられなくてもやりたいからやるのが内発の動機づけだ。

 日本をほめてしまうと、逆に日本が悪くなってしまう。いまの日本はそれにおちいっているのがあり、愛国が強まっている。いっけんすると、日本をほめるのはよいことであり、価値があるかのようでいて、じっさいには日本をだめにしてしまう。日本に文句を言うのは、いっけんすると反日に当たることであり、価値が無いかのようでいて、じっさいには価値がある。ほめて、甘やかして、だめになっているのがいまの日本だろう。

 ほめるのは薬で、もんくを言うのは毒だ。薬が毒になり、毒が薬になるのがあり、現代思想でいわれる薬と毒の転化(pharmakon)がある。ロシアなんかは、国の中で薬しかなくて、毒がない。薬しかなくて、その薬が毒に転じていて、いまウクライナと戦争をやっている。

 いっけんすると愛国は薬のようだけど、それが毒に転じてしまう。ロシアは国の中に反ロシア(反ウラジーミル・プーチン大統領、反体制)の毒があったほうが、それが薬に転じるのが見こめた。ロシアに毒にあたる反対の勢力(opposition)がしっかりとあれば、ウクライナと戦争をやるのを防げただろう。

 参照文献 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『学ぶ意欲の心理学』市川伸一 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『「表現の自由」入門』ナイジェル・ウォーバートン 森村進森村たまき訳 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹