ロシアとウクライナの戦争と、日本は核の兵器を持つべきかどうか―被爆国としてどうあるべきか

 ロシアとウクライナのあいだで戦争がおきている。

 戦争がおきている中で、日本の国の防衛で、日本は核の兵器を持つべきではないかと言われているのがある。

 テレビ番組のアンケートでは、視聴者のうちで、日本が核を持つべきかどうかの議論をしたほうがよいと答えた人が多かった。議論はあったほうがよいとする人が多かった。

 日本が核を持つべきかどうかの議論は行なわれたほうがよいのだろうか。議論をするべきかどうかでは、議論はあってもよいだろうが、それとは別に、問いかけをとり上げてみたい。

 問いかけとしては、こういった問いかけをとり上げられる。日本は核を持つべきなのか。核やミサイルの開発や所有がなされている国際的な状況において、日本の国(の防衛)はどうあるべきなのか。

 日本は核を持つべきなのかの問いかけでは、それへの答え方として、現実論や規範の点から見て行ける。

 現実論からすれば、日本が核を持つことはむずかしそうだ。日本が核を持つことはアメリカが許しそうにない。かつての戦争で、日本は敗戦した国であり、アメリカは戦勝した国だ。敗戦した国である日本は、戦勝した国であるアメリカなどと位が同じであることができず、アメリカなどを主とした国際的な秩序に従わざるをえない。

 かつての戦争の戦勝の国であるアメリカなどが、国際的な秩序を形づくっている。アメリカなどによる規範がとられていて、その規範からすると、日本が核を持つことが許されるとは言えそうにない。かつての戦争に敗戦した国である日本が核を持つことは、戦争に敗戦したことになる国が従わざるをえない国際的な規範に反してしまいそうだ。

 日本の国の中において、日本が核を持つべきかどうかの議論をしたとしても、それがじっさいに国の外の国際的に通じるかどうかが肝心だろう。いくら日本の国の中で議論をやっても、国の外の国際的に通じるのでなければ、あまり意味があるとは言えそうにない。いくら主権をもつ国だからといっても、むりやりに日本の国の言いぶんを押し通すわけには行かず、日本のまわりの国やアメリカなどの意見を受けとめることはいることだろう。

 核を持つかそれとも持たないかは、同格となるものとは言えそうにない。お金を持つか持たないかや、荷物を持つか持たないかといったようなこととはちがう。核を持たないことは、消極のことではなくて、積極の意味あいがあり、核を持たないことから、核を国際的になくして行くことにつなげて行ける。

 核を持たないようにするのは、日本の国のあるべき規範に合う。核を持つようにすることが、日本の国のあるべき規範に合うのではない。世界でゆいいつの被爆国なのが日本なのだから、その過去の歴史をくみ入れるのだとすれば、日本は核を持たないのが規範に合う。被爆国としての日本は、同じ被害がふたたびおきることがないようにして行かないとならない。

 規範は人それぞれのところがあり、価値についてのことだから、ゆいいつにして絶対のものだとまでは言えそうにない。核を持つべきではなく、国際的に核をなくして行くべきだといった規範は、絶対化はできずに相対化されるところはあるけど、日本の国の歴史を見てみれば、そこから言えることになる規範の一つだとは言えるものだろう。日本の国の歴史を重んじるようにしてみれば、そこから出てくることになる規範の一つであるのが、非核のあり方だといえる。

 科学の技術が進んだことで、核やミサイルの兵器が作られることになった。国際的には核やミサイルが作られて所有される状況になっているが、その中で日本の国はどうあるべきなのかと言えば、どんどん国の軍事の力を高めて行くようにするべきだとは言えそうにない。軍事ではなくて、軍事によらない文化などの力をどんどん高めて行くようにするべきだろう。

 たとえ核をもっていて、軍事が強くても、国が損や不利益をこうむることがある。ロシアはウクライナに戦争をしかけたけど、それによってロシアは国際的な評判を落としている。国際的にロシアはいろいろなところから批判を受けている。ロシアの国民に、損や不利益がおきている。

 ロシアは核を持っていて軍事が強い大国だけど、国の評判が落ちれば、ロシアの国民は損や不利益を受けてしまう。それがおきてしまうのは、ロシアが危機の管理ができていないからだ。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、危機の管理ができていないので、ロシアの国の評判が国際的に落ちることをくみ入れていない。

 核やミサイルだけではなくて、科学の技術が進むことで、いろいろな情報の技術が生み出された。ウェブでは SNS(social networking service)が活発に使われていて、それによっていろいろな情報が流れる。ことわざでは、悪い情報は速くに伝わりやすい(Bad news travels fast.)と言われる。

 国の評判では、よいことは限定化されやすく、悪いことは一般化されやすい。ほめられづらく、批判されやすい。ほめるのは、その国の内ではできるけど、外ではおきづらい。ほめるのは、その国で国家主義(nationalism)が強まってしまう危なさがおきる。

 いっけんすると、日本の国が核を持てば、日本の国が強くなりそうではあっても、じっさいにはそうとは言えそうにない。日本の国はいろいろなぜい弱性(vulnerability)を持っているから、そのぜい弱性を埋め合わせることはできづらい。いろいろな弱点を抱えていて、その弱点があらわになっているのが日本の国だろう。核を持ったとしても、日本の国が抱えているいろいろな弱点が都合よく消えてなくなってくれるものではないだろう。

 核を持ちさえすれば、日本の国を守れるのかと問いかけてみれば、そこにはそうとうな疑問符がつかざるをえない。日本は核を持てるのか(持つことが許されるのか)と問いかけてみれば、そこにもそうとうな疑問符がつくだろう。

 日本は核を持たないようにしさえすればそれでよいのかと問いかけてみれば、それでよいのだとも言えそうにない。日本が核を持たないようにしても、それだけで十分だとは言えないから、どのようなあり方が国際的な秩序においてふさわしいのかを探って行きたい。

 国際的にふさわしい秩序を探って行くさいに、アメリカの国にはびこっているような、軍産複合体を批判するようにして行きたい。軍事の産業が富を得ることがないようにして行く。兵器や武器が作られないようにして、その数が減って行くようにすることがいることだろう。

 いくら軍事の力が強いからといって、アメリカは軍産複合体に汚染されてしまっているから、国際的なアメリカの評判はそう高くはなく、アメリカへの批判は少なくない。アメリカが軍事の力を強めることで、かえってアメリカの評判を落とすことにもなっている。アメリカは危機の管理ができていないところがある。

 参照文献 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『天才児のための論理思考入門』三浦俊彦 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安、大貫功雄(おおぬきいさお)訳 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『新版 一九四五年八月六日 ヒロシマは語りつづける』伊東壮(たけし) 『ナガサキ―一九四五年八月九日』長崎総合科学大学和文化研究所編