日本にとっての敵(となる国)はいるのか―純粋な敵のなりたちづらさと、敵の雑種性(hybrid)

 日本の国を守る。そのために、敵の基地をこうげきすることができる力を日本はもつべきなのだろうか。

 日本にとっての敵といったさいに、(ある国のことを)敵として基礎づけたりしたて上げたりすることができづらくなっている。反基礎づけ主義からすればそう言えそうだ。

 基礎づけ主義からすると、日本にとっての敵となる国を作ることができて、敵を基礎づけたりしたて上げたりできることになる。大きな物語がなりたつ。

 これが日本にとっての敵なのだとははっきりとは定めづらいのがいまのありようであり、反基礎づけ主義によるあり方だ。小さな物語しかなりたちづらい。

 いまはロシアとウクライナが戦争をやっているけど、これはもっぱらロシアが悪いものだ。そのロシアの悪さはさしあたって置いておけるとして、戦争がおきている中では、基礎づけ主義がとられてしまう。ウクライナにとっての敵はロシアであり、ロシアにとっての敵はウクライナだ。

 いざ戦争がおきると、ものごとがひどくたんじゅん化されてしまう。わかりやすくものごとがとらえられることになる。ウクライナにおいては、敵であるロシアをたおす。敵つまりロシアだとされて、それを倒すことが目標になり、何をやればよいのかや何を目ざすのかがはっきりと示される。

 どういう点に戦争のまずさがあるのかといえば、色々にあるけど、その中でものごとがたんじゅん化されてしまうのがある。ものごとがたんじゅん化されて、何をやるべきなのかや何を目ざすのかがはっきりと示されるのが、逆に良くない。ウクライナだったら、ロシアが敵であり、そのロシアを倒すのが目標になって、そういうわかりやすさがかえって悪くはたらくところがある。

 いっけんすると、戦争がおきている中では、敵を基礎づけたりしたて上げたりできるかのようだけど、それはたんにものごとをたんじゅん化しすぎてしまっているためであるおそれがある。

 ものごとをたんじゅん化しすぎて、これが敵だとしてしまうのが戦争ではなされるけど、それはその国がおろかになっているのをしめす。国がおろかになっているから、ものごとをたんじゅん化してしまい、これが敵だとして、その敵をやっつけることが目ざされてしまう。たとえ個人としてはかしこい人がいたとしても、集団の浅慮(せんりょ)や集団の思考(groupthink)におちいってしまい、国がおろかになる。

 戦争がおきていなくて平和な中では、反基礎づけ主義になっていて、小さな物語しかなりたちづらい。自分たちにとっての敵を基礎づけたりしたて上げたりできづらいのとともに、何をやるべきなのかや何を目ざすことがいるのかもまたよくわからない。戦争をやっているときのように、何をやるべきなのかや何を目ざすことがいるのかを客観にはっきりとは示しづらいのである。

 何をやるべきなのかや何を目ざすことがいるのかがわかりづらいのは、世界のありようが複雑だからだ。その複雑さをたんじゅん化しすぎてしまうのが戦争をやることだ。複雑さをたんじゅん化しすぎないようにして、基礎づけ主義にならないようにしたい。

 平和な中(まだ日本ではいまのところは戦争がおきていない中)で、世界が複雑になっているのがある。たんじゅん化しすぎるのを避けるようにして、反基礎づけ主義によるようにして行く。国の政治においては、議会の内や外にいる反対勢力(opposition)を重んじるようにしていって、議会の内では野党などの反対勢力を排除しないようにして行く。

 議会の内では、与党(自由民主党)だけの一強のあり方だと、ものごとをたんじゅん化しすぎてしまうことになり、戦争に向かいやすい。芸能人のタモリ氏がいうような、新しい戦前になってしまうおそれが高いのが、自民党による一強のあり方だ。それを改めて、せめて与党と野党(反対勢力)が、円の中の二つの中心になるように(だ円になるように)できれば、民主主義を保ちやすい。だ円のあり方だ。

 参照文献 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫現代思想を読む事典』今村仁司編 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『日本人はなぜ存在するか』與那覇潤(よなはじゅん) 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『本当の戦争 すべての人が戦争について知っておくべき四三七の事柄』クリス・ヘッジズ 伏見威蕃(いわん)訳 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修