自衛隊(軍隊)と、正義―国の抑圧の装置や公の国の装置である軍隊と、正義

 背中に、正義の語が書かれた T シャツを着て、隊員たちがあつまっている。せなかの正義の語を見せるかたちで写真がとられていた。海上自衛隊の隊員たちによる写真である。

 いっけんすると、自衛隊が正義の語をかかげることは良いことであるかのようだけど、そこに危なさはないのだろうか。

 日本の国を守るために、正義の語をかかげたのが自衛隊だろう。それはいっけんするとまじめに日本の国を守ろうとするのや日本への愛国心を示していそうで良いことであるかのようだけど、それにまったをかけてみたい。

 正義の語には、多義やあいまいさがつきまとう。肯定や積極には、正義の語を定義づけしづらい。消極の形でしか定義づけしづらいのがあり、不正が無いのが正義だといったふうにしか定めづらい。経済学者のフリードリッヒ・ハイエク氏はそう言う。

 たった一つの正義をよしとするのだとまずさがおきてくる。正の語は、一に止からできているけど、単数の一つの正義だと、ほかのあり方を許さなくなってしまう。正義は複数のものを許すようであるのがいる。正義の複数性だ。たとえば、自国の正義と、他国の正義といったようにである。

 どういうものを重んじるようにするべきなのかといえば、何をさしおいても正義を重んじるようにするべきだとはいえそうにない。究極の価値に当たるのが正義だけど、それをいまいちどいったんカッコに入れるようにして、それよりも実在を重んじるようにしたい。

 かくあるべきの当為(sollen)なのが正義だけど、それよりもかくあるの実在(sein)をより重んじるようにしたい。日本の国は、戦前において、かくあるべきの当為を重んじすぎて、国がまちがった方向につっ走っていった。戦争にいたって、国がはめつするところまで行った。

 戦前の日本は、かくあるの実在をひどく軽んじたために、国がまちがった方向につっ走っていったのである。かくあるべきの当為を重んじて、かくあるの実在を軽んじるところが日本にはあるから、それを改めるようにしたい。

 重んじるようにするべきかくあるの実在のところを見てみると、日本の国の中にはいろいろな人による色々な考え方があることがわかる。人それぞれによって色々な考え方のちがいがあって、さまざまな遠近法(perspective)がある。遠近法のちがいが人それぞれであることを重んじるようにして、正義よりも実在のほうをしっかりと重く見て行くことが、日本にはいることだ。上からのたった一つの遠近法を下に押しつけがちなのが日本にはある。

 参照文献 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『正義 思考のフロンティア』大川正彦 『正しさとは何か』高田明典(あきのり)