国を守ることと、政治―日本には政治が欠けている

 国の防衛のための、増税がいる。増税をしないのだとしても、借金がいる。いまの日本にはそれらがいるのだとされているけど、ほんとうに必要なことなのだろうか。

 強く必要であることが上から言われているのが、防衛のための増税や借金だ。何がほんとうに必要なことなのかといえば、軍事に使うための増税や借金ではなくて、政治こそがいる。政治をやることこそが、いまの日本ではいることだろう。

 軍事のために増税や借金をすることがおし進められるのは、そこで政治が行なわれることを必ずしも意味しない。政治をやることが保証されていない。政治を抜きにして、軍備の拡張がどんどんおし進められて行くのは危ない。

 とことんまでものごとを見て行くようにするのが、政治をやることだ。浅い表面のところにとどまるのではなくて、深くまで見るようにして行く。とことんまで議論をやり合って、論点をできるかぎり深めて行く。

 浅い表面のところにとどまった中で、軍備の拡張が言われているのがいまの日本だろう。政治を抜きにして、政治が欠けたままで、軍拡が言われているのがあるから、そこに危なさがある。政治をやるようにするのがなくて、とことんまでものごとを深く見て行くようにすることが行なわれていない。

 二つの極があるうちで、ふり子が蓄積から蕩尽(とうじん)や消尽(しょうじん)の極へと振れて行く。そのさい、悪い形の蕩尽にいたるのが、国が戦争へ向かうことだ。

 いまの日本は、悪い形の蕩尽へと向かって行っていて、戦争へと向かっているところがある。

 よい形の蕩尽であれば、これまでに日本が蓄積していたものを、みんなに公平に平等に贈与して行く。階層(class)のあいだの格差を改めて行く。そういったよい蕩尽に向かうことは、可能性としてはまったくできないことではない。

 いまの日本に欠けてしまっているのが、政治を行なうことだけど、それによって悪い蕩尽へと向かっていってしまっている。どんどん増税をして、どんどん借金をしていって、それで軍拡をやっていって、国民の生活が苦しくなって行く。国がはめつして行く。

 悪い蕩尽ではなくて、よい蕩尽に向かうようにするためには、いまの日本に欠けてしまっている政治をやるようにして、とことんまでものごとをやるようにして行く。とことんまでものごとを深く見るようにしていって、政治の議論をし合うことなどにいっぱい労力を使うようにして、もっている労力を蕩尽して行く。

 自分たちがいまもっている労力や数の力などをどんどん蕩尽していって、すっかりと使いつくす。政治をやるようにすることで、とことんまでものごとをやるようにすれば、蕩尽することになるから、政治の力の関係が変わって行く。政治の強者と弱者のあり方が変わることになる。

 政治で、強者は強いままで、弱者は弱いままになっているのが日本だから、力の関係が固定化している。それで悪い蕩尽へと向かっていってしまっている。科学のゆとりが欠けていることで、とにかく軍拡のための増税や借金がいるのだとされていて、強兵の政策にむかってつっ走って行こうとしている。

 悪いものではなくて、よい蕩尽をなすことは、科学のゆとりを持つことであり、そのことにたいしていっぱい労力を使い、労力をすっかり使いつくすことだ。労力を使いはたすくらいにして、科学のゆとりをしっかりと持つようにして、政治をやって行くようにしないと、日本の国を守ることはできないだろう。

 政治をやるようにして、とことんまでものごとを深めて行かないと、(良いものではなくて)悪い蕩尽の極へとふり子が振れてしまう。良い蕩尽であれば、国民が量や質として豊かになるけど、悪い蕩尽になると、生活が貧しくなったり苦しくなったり、または戦争などで国がはめつしてしまう。

 参照文献 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『論理が伝わる 世界標準の「議論の技術」 Win-Win へと導く五つの技法』倉島保美