政治における、最小の道徳や倫理―一つのことを、押さえられるか押さえられないか(視点や立ち場の入れ替えの可能性)

 これだけはぜひとも守らないとならない、政治家にとっての道徳や倫理とはいったい何なのだろうか。

 さいていでも、これだけは守るようにしたい。それに当たるのが、自由主義(liberalism)だ。

 たった一つだけ、これだけは守らないとならないこととしてあげられるのが自由主義であり、最小の道徳や倫理だ。

 あれもこれも守らないとならないのではなくて、せめて一つくらいは大事なことを守らないと、すべてが総くずれになってしまう。

 視点の反転の可能性の試しが自由主義にはあって、これだけはせめてやるようにしないと、すごい退廃(decadence)がおきてしまう。

 自由主義がこわれてしまっているのがいまの日本の政治だから、退廃がおきていて、不道徳や非倫理になっている。与党である自由民主党の政治家を見るとそれが見てとれる。

 政治では、何かをやるさいに、自由主義の視点の反転の可能性の試しをもち出すようにする。いまもっている視点とはちがう視点を持ち出すようにして、ちがう視点であっても同じことが言えるかどうかや、ちがう視点であったらどういう行動をとるのがふさわしいのか(同じ行動をとるのがふさわしいのかどうか)を見て行く。

 色々といくつもやらないとならないのではなくて、せめてこれ一つくらいはちゃんと押さえておかないとならないと言えるのが、自由主義によるものだ。そこがくずれてしまっていて、押さえられていないのがいまの日本の政治だ。さいていげんの一つのところが崩れてしまっているから、もととなるものが無になっている。

 自由主義がこわれているのと、いまの日本の憲法が守られていなくてないがしろにされているのとは、関わり合う。自由主義で、視点の反転の可能性の試しをやるのは、近代の立憲主義憲法を守ることに等しい。きちんとした憲法であれば、いまとはちがう視点をもたらしてくれるから、憲法をよりどころにして、それをしっかりと守るようにすれば、それが自由主義を保つことになる。

 迷ったら、原点に帰るようにする。その原点にあたるものなのが、政治においては、自由主義だろう。原点に帰るようにして、色々といろんなことをやるよりも、まずこれ一つだけは(それ一つくらいは)せめてきちんと押さえておこうと言えるものがあって、そこを押さえることすらないと、すっからかんになり、道徳性や倫理性が〇になってしまう。いまの日本の政治は、道徳性や倫理性が〇になっているように映る。こわいことになっているところがある。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『ぼくたちの倫理学教室』E・トゥーゲンハット A・M・ビクーニャ C・ロペス 鈴木崇夫(たかお)訳 『憲法という希望』木村草太(そうた)