うそつきの役所なのが、財務省なのか―日本でいまつかれている(かもしれない)うそと、これまでにつかれたうそ

 国民にうそをついたり、国民をだましたりする。それで増税をしようとしているのが財務省なのだろうか。

 ほんとうは増税をすることはいらないのに、さもそれがいるかのようにしているのが財務省やそこの役人だとされるのがある。

 役所(省庁)や、役人のつくうそがある。うそにおいては、財務省はそこまでそれをついているのだとはいえそうにない(たぶん)。

 どういったものがうそをつきまくってきたのかといえば、財務省ではなくて、かつてをふり返ってみると、かつての建設省である。

 建設省は、日本の色々なところに公共事業をやるためにうそをつきまくっていた。作ることがいらないのに、それを作ることがいるかのようにうそを言いまくり、それでいらないものをいくつも作ってきた。

 自分たちが作りたいものを作るためだったら、いくらでも国民にうそをついてもかまわない。うそをつくことをいとわなかったのが建設省だった。

 土建(屋)の国だったのが日本であり、その中でたくさんのうそがつかれて、土建屋がうるおった。国の経済がそれで成長していったのがある。

 たんに、日本の国の経済をよくして、成長させることだけであれば、建設省がついたいくつものうそは、そこまで悪いことではないだろう。役所や役人がうそをつくことで、土建屋をうるおわせることができたのがあるし、いろいろな箱ものを作るのとか公共事業をやることができた。

 よいことばかりだとか、良いことだけだったのかといえば、そうではなくて、国の経済はすごい成長したのはあったけど、そのかわり非倫理におちいってしまったのがあった。役所や役人が、国民にうそを言いまくったのがあり、うそをついてまでしていらないものをどんどん作っていったのである。

 かつてをふり返ってみると、日本は土建の国だったのがあるから、財務省であるよりも、建設省がうそをつきまくっていたのがあった。うそをつきまくることによって日本の国の経済がよくなって成長したところがあったのである。

 これまでに、かつての建設省などがうそをつきまくってきたのがあって、それの負の遺産なのが、いまの日本の財政のぼう大な借金だろう。日本にぼう大な借金があるのは、いろいろな要因によっているものだけど、そのうちの要因の一つには、役所や役人によるうそや、いらない箱ものなどをいくつも作りまくってきたことがある。

 どちらかといえば財務省はそこまでうそをついていないだろうけど(たぶん)、かつての建設省などの、そのほかのところがうそをついて国民をだましてきた。国民もまたうそを甘く許していたのである。うそにきびしくなかった。お上(かみ)にはさからわずにしたがうあり方をとってしまったのである。

 西洋の個人主義とはちがって、日本は関係の主体(referential subject)だから、お上がつくうそに甘くなりがちだ。西洋の絶対の主体(absolute subject)だと、お上を批判しやすいから、お上のうそにきびしくできやすい。主体のあり方のちがいがあり、日本の関係の主体はうそを許しやすい。

 かつての日本では、役人がすごい力をもっていて、官僚が国を支配していたのがあり、国民にたいしてへいきでうそをつきまくっていた。国民もそのうそを甘く許したのがあり、日本の国そのものが、うそに甘いところをもつ。うそにきびしくない。それでいまは日本の国は財政でぼう大な借金をかかえることになっている。

 財務省が悪いのであるよりは、もっとうんと悪い省庁がかつてはあった(建設省など)のがあって、その悪さの結果を示しているのが、いまの日本の国の財政のきびしさ(不健全さ)だろう。財務省が悪いのであるよりも、もっと広く見られるのがあって、日本の国が悪いのがあり、日本はうそに甘すぎるのが悪い。

 国のぼう大な借金とともに、(これまでにたまりにたまった)うそによってほろびかねないのが、いまの日本である。きびしく見ればそう見られそうだ。歴史でもうそをついていて、歴史修正主義によっている。

 参照文献 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『ダムはいらない! 新・日本の川を旅する』野田知佑(ともすけ) 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『環境 思考のフロンティア』諸富徹(もろとみとおる)