日本は(消費税などを)増税をするのがいるのか―日本の国の財政の謎(mystery)と、その意識化

 消費税を引き下げたり無くしたりするのは、正しいことなのだろうか。

 日本の国はいま財政がとんでもなくきびしくなっていて、借金がたまりまくっている。その中で増税がいることが言われているけど、その反対に減税をするべきだとするのも言われている。

 増税をするべきだとするのは、緊縮の財政だ。減税をするべきだとするのは、反緊縮のあり方だ。

 日本のいまの財政のありようは、(ぼう大な借金があることから)すごい問題を抱えているともされているし、その反対にまったく問題はないとされているのもある。

 たとえば、どこかの家だったら、その家がぼう大な借金を抱えていたら、家の経済はたちまち破産する。その家はやって行けなくなる。

 どこかの会社だったら、そこがぼう大な借金を抱えていて、それで社長がのんきにしていたら、よほど危機の意識がない人だろう。どこの会社でも、たくさんの借金を抱えるなどで会計の状況が苦しくなれば、従業員の首を切るなどをせざるをえなくなる。継続企業(going concern)のためには会社がつぶれないようにしないとならない。

 とんでもない借金をかかえている家または会社があって、その家や会社がいつまでもつぶれないでありつづけているのだとしたら、その家や会社はふしぎな存在だ。なんでその家や会社がつぶれないのかが謎だ。

 つぶれていなければおかしいのに、いつまでもありつづける家や会社のようなものなのが、いまの日本の国だろう。借金をぼう大にかかえていて、借金を増やしつづけているのに、その家や会社がつぶれなかったらおかしいのと同じように、日本もまたおかしいあり方になっている。

 よいか悪いかをいったん置いておけるとすると、日本の財政には謎がある。その謎が意識化されていなくて、あんまりとり上げられていない。謎があるけど、それがそこまで注目されていない。

 謎といえば、答えの数がどれくらいなのかがある。答えが一つあるのが謎解き(puzzle)だ。答えがいくつもあるのが葛藤(dilemma)だ。答えが〇なのが矛盾(paradox)だ。

 世界の七不思議とか、いまだに科学でわからないことなんかが色々にあるけど、そういう不思議さがあるのが日本の国の財政だろう。不思議なことだけど、いまのところは日本の国はつぶれていないのである。これから先は未知ではある。

 がけの上に家が建っていて、がけがいまにも崩れそうだけど、危うい均衡でまだ家ががけの上にありつづけている。そういったようなものなのがいまの日本の国だと言えそうだ。これから先には、がけが崩れて、家がつぶれてしまうおそれがある。いつがけが崩れてもおかしくはない。

 すごい危ういことがあって、その危うさがいつおきてもおかしくはないのに、それがいまのところはおきていない。危ういことがおきる可能性が高いのに、いまのところはそれがおきていないから、そこに謎がある。

 危うさがあっても、じっさいに危ういことがまだ起きていなければ、べつに危うくはないんだみたいに見なされてしまう。ぜんぜん危うくなくて安全だみたいにされてしまう。少しも謎なことはなくて、たんに安全なのだから、危うくはないだけだといったとらえ方がなされる。

 家がつぶれるとか、会社がつぶれるのは、そういうできごとがじっさいに起きないと、まちがったあり方が反省されづらい。だめなあり方だったからつぶれたのだと見なしづらい。国だと、そうかんたんにはつぶれないところがあるから、たとえいまつぶれていなかったとしても、(つぶれてもおかしくはないのにまだつぶれていないことの)謎が意識化されづらい。

 国には謎がないかのようにされてしまうのがあるから、そこに目を向けてみたい。国の財政のあり方がよいか悪いかとはちょっとちがって、日本の国の財政には謎があるけど、それがそこまでしっかりと意識化されていない。もっと謎に目を向けるようにして、そこを意識化したほうがよいだろう。

 参照文献 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『貧困と格差 ピケティとマルクスの対話』奥山忠信 『日本国はいくら借金できるのか? 国債破綻ドミノ』川北隆雄 『思考のレッスン』丸谷才一