かけごとと、宗教―かけごとにお金をかけることと、宗教に献金するのは、同じことなのか

 新宗教に、お金をはらう。献金で、一億円くらいのお金を払わされた。安倍元首相を殺した犯人の母親は、そうだったのだという。

 一億円のお金を新宗教にはらうのは、かけごとの競馬で一億円をかけて負けるのと同じだ。そう言われているのがある。

 宗教に献金することは、かけごとの競馬でお金をかけるのと同じことなのだろうか。

 安倍晋三元首相を殺した犯人の母親は、新宗教(旧統一教会)の信者だったという。母親は、そうとうな資産をもった資産家であり、その資産であるお金を新宗教にはらった。

 かけごとの競馬に一億円ものお金をかける人など、はたしているのだろうか。かりにそうした人がいるのだとすると、その人は、一億円を七千万円くらいに交換したことをしめす。

 かけごとの競馬で、馬券を買うのは、そのぶんだけ胴元(主催者)にもって行かれることをしめす。馬券が一枚が三〇〇円くらいなら、一〇〇〇円を持っているとすると、一〇〇〇円を七〇〇円に交換することと同じなのだ。

 一億円を競馬にかけたのだとすれば、そのひとは、一億円を七千万円に交換したのと同じだから、つり合わない交換を自分ですすんでやったことになる。ふつうだったら、一億円を七千万円に交換する人などいない。三〇〇〇万円を損してしまうからだ。

 数学によって見てみると、かけごとは、かけても、かけた人がもうからない仕組みになっている。一〇〇〇円を持っているとすると、三〇〇円くらいを胴元にさし引かれて、のこりの七〇〇円を、みんな(かけた人どうし)でうばい合うことになるから、確率からするともうかりようがない。ただし、奇跡がおきれば話は別ではあるだろう。

 きちんとした数学の知識(literacy)をあらかじめ持っていれば、かけごとをやってもかけた人がもうからないのがわかるから、お金を失いたくないのであればかけごとはやらないだろう。確率からすれば、お金を損することが定まっている。

 かけごとで一億円もかけるのだとしても、総額でそれくらいかけたのであれば、馬券が当たるときもあるだろう。いっきょに一億円をかけてしまうのではなくて、分散させて何十回(何百回、何千回など)に分ければ、そのうちのいくらかは当たるだろうから、たしょうはかけたぶんをとり戻せそうだ。

 かけごとと同じように、宗教についての知識をあらかじめ持っていれば、だまされることを少しは防ぎやすい。かけごととはちがって、宗教で献金してももうかることはない。かけごとよりも、さらに(なおさら)もうからないのが宗教だ。たんに自分のお金をとられるだけに終わる。

 かけごとだったら、分散してお金をかければそのうちのいくつかは当たるかもしれないから、たしょうはとり戻せることがのぞめるし、(競馬でいえば)大穴の万馬券みたいなのが当たることもまれにはあるかもしれない。

 宗教はかけごとよりもより悪質なところがあって、たんに信者からお金をとるだけだし、資産家がいればその資産をうばうことをねらう。資産をもっている人は、宗教のカモにされやすい。カモがネギをもってくるようなものなのが、資産家が信者になってくれることだろう。

 交通でいえば、かけごとであれば、かけた人から主催者への一方向のお金の流れだけではない。一方向の単交通だけではなくて、うまくすればもうかることもあるから、かけた人にお金が返ってくることがある。双方向の双交通だ。

 宗教では、一方向の単交通のお金の流れしかない。たんに、信者がお金をはらって、信者がお金をとられるだけだ。信者からお金を受けとるだけなのが宗教の集団である。双方向の双交通のお金の流れはおきない。

 射幸心をもっている人がいて、その射幸心につけこむ商売なのがかけごとだろう。世の中には、そうそううまい話が転がっているはずがないから、かけごとでかけたとしても、かんたんにもうかることはほとんどない。

 かんたんにお金をもうける話は、そうそう転がっているものではなくて、そうかんたんにてがるに多くのお金をもうけることはできないものである。ふつうはそうだけど、それができてしまうのが宗教ではありえている。宗教で、悪質なものだと、あたかもカモがネギをせおってやってくるように、資産家が信者になることがある。

 からくりを見てみると、かけごとは胴元が何割か持っていってしまうから、かけるひとがもうかることはまずない。宗教でも、そのからくりを知ることが大切だろう。からくりを知っていれば、だまされることを防ぎやすい。逆にいえば、からくりを見せずに、仕組みを隠して見えないようにしていて、神秘性をよそおっているから、資産家が信者になってお金を払うことがおきてしまう。

 宗教は、からくりや仕組みを見せないようにして隠しているから、そこがたちが悪いところだろう。からくりや仕組みを見せずに、それを知られないようにしているから、知らない人はうっかりだまされてしまう。知識がないこと(無知なこと)の、弱味につけこんでいるのである。

 中にはよい宗教もあるだろうから、ぜんぶが悪いわけではないが、お金をだましとる(またはかすめとる)ことを意図しているものが中にはあるから、それには気をつけたい。日本の仏教なんかは、葬式仏教になっているのがあり、お金をとることを意図しているのがあって、悪いところがある。

 参照文献 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき)