宗教の集団の、きれいさと汚さ―汚れや乱雑さのたまりぐあい

 調査を行ない、解散させることもくみ入れる。それが決まったのが、韓国の新宗教(旧統一教会)だ。

 解散させることがいることが言われているのが新宗教だが、逆に、解散させずに、かばうことは、どういうことを意味するのだろうか。

 新宗教を解散させずにかばってしまうと、欠点がおきてくる。欠点としては、集団が抱えている乱雑さ(entropy)が外に吐き出されない。ハレ(非日常)とケ(日常)の、ケがつづくことによって、乱雑さがたまりつづけていってしまう。

 二つの極があって、きれいに掃除をする極と、汚さがたまって行く極とがある。

 きれいに掃除をする極はハレだ。汚さがたまって行く極はケだ。

 これまでに、きびしい批判が投げかけられず、きびしい監視がされていなかったのが韓国の新宗教だ。安倍晋三元首相が犯人に殺される事件がおきる前までは、見のがされつづけてきたのが韓国の新宗教だった。

 事件がおきる前までは、ケだったので、汚れがたまりつづけてきた。乱雑さがたまりつづけてきたのである。川で言うとどぶ川のようになり、部屋でいうと汚部屋でありごみ屋敷だ。

 だれも(ほとんど)掃除をする人がいなかったので、汚れほうだいになっているのが韓国の新宗教だった。掃除をするのは、ケのときにはできない。ハレのときでないとできないのがあり、事件がおきたあとの今は、ハレの状況がおきている。

 悪質なカルト(cult)の宗教は、川でいえばとんでもなく汚いどぶ川だ。水の汚染がすごくひどい。部屋でいえばごみだらけのごみ屋敷になっていて、ごみがたまりまくっている。大量のごみで埋めつくされていて、足のふみ場もない。

 新宗教を解散させないでかばってしまうと、あたかもきれいな川であるかのようにあつかってしまう。ごみがないきれいな部屋であるかのようにしてしまう。掃除をになう人が、掃除をすることができなくなる。ほんとうは大掃除をしないとならないのに、まったく掃除をしなくてもよいのだとしてしまう。

 川でいえばその汚さや、部屋でいえばその汚さを、見えないように隠すおおい(cover)となっていたのが安倍元首相だった。事件がおきたことによって、おおいがとれたので、川がとんでもなく汚くなっていて、部屋がとんでもなく汚くなっているのが見えるようになったのだ。

 事件がおきる前のケのときには、川や部屋の汚さが見えないように隠されていた。川や部屋におおいをかけていて、それそのものが見えないように隠ぺいされていた。

 ケではなくてハレになっているのがいまであり、それは事件がおきたことによる。いまはハレになっているところがあるから、掃除をになう人がおもてで活躍することがおきている。掃除をになう人は、新宗教をこれまでに調査しつづけてきた人や、だまされた信者を救ってきた弁護士の人や、だまされた信者の当人などだ。

 ケのときには掃除をになう人が活躍できずに、掃除することができない。ハレにならないと掃除ができないのがあって、いまがちょうどそのときだろう。

 どういう人たちが、ハレにおいて掃除をになうのかといえば、日ごろのケのときにはわきに置いやられている人たちだ。日ごろは日の目を見ない人たちである。ハレのときに掃除をになうのは、辺境者であり、魔女だ。日ごろのケのときには、おもてには出てこないで、中心にはいない人たちである。

 ハレになっているのがいまだから、おもい切って、うんと掃除を行なって行く。掃除をしまくるようにして、掃除をになう人たちにどんどん活躍してもらう。それで韓国の新宗教を解散にまでもって行くのがのぞましいことだろう。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『失敗の研究 巨大組織が崩れるとき』金田信一郎