自民党と、新宗教との、関係のあり無しの証明―交通のあり無し

 いっさいの関係を、韓国の新宗教(旧統一教会)とは持たないのが、わが党の政治家たちだ。自由民主党の政治家はそう言っている。

 安倍元首相は、韓国の新宗教とはまったく逆の考えを持っていた。生きていたときの安倍元首相についてを、自民党の政治家はそう言っていた。

 自民党の政治家がいうように、自民党と韓国の新宗教とは、まったく何の関わりも持ってこなかったのだろうか。安倍晋三元首相は、韓国の新宗教とはまったく逆の考えを持っていたのだろうか。

 あらゆる発言は、反証の可能性をもっていないとならない。反証主義からはそう言える。

 自民党の政治家の発言は、言ったそばからすかさず反証されてしまうようなことに当たる。

 交通の点からすると、自民党と韓国の新宗教とは、反交通のあいだがらだったのだとはいえそうにない。反交通だったのであれば、いっさいお互いに関係がないことになる。考え方でも、まったく逆の考え方どうしになる。

 自民党新宗教とが反交通だったのだとするのは、お互いに何の関係もないことだから、それをじかには証明しづらい。何々でないことをじかには証明できないけど、それを間接には証明できる。

 間接の証明を試みてみると、関係がない、つまり反交通の、逆の仮説をとってみる。逆の仮説である、双交通、つまりお互いに関係があったり、お互いに考え方が合っていたりしたのだとしてみる。

 双交通だったのだとする仮説をとってみて、それを否定することができれば、反交通だったことを間接に証明できる。双交通の仮説を否定できるのかといえば、それはできなくて、その仮説がなりたってしまう。

 双交通の仮説を否定できるのでないと、関係がなかったり、考えが合っていなかったりすることの証明はできない。双交通の仮説がそれなりに有力なものになる。反交通の仮説はうたがわしいことになり、反証されるうたがいが高まる。

 自民党新宗教とは、おたがいに関わり合いがそうとうに深かった。安倍元首相の考えと、新宗教の考えとは、かなりのところで重なり合っていた。これが双交通の仮説だけど、この仮説はそれなりに有力であり、それを裏づけるいろいろな証拠やこん跡がいくつも残っているのだ。

 まったく反対の仮説どうしなのが、双交通の仮説と反交通の仮説だけど、どちらの仮説にたいしても、反証主義によるようにしたい。二つの反対となる仮説があるうちで、どちらかだけに甘くて、どちらかだけにきびしいのではないようにしたい。

 どういう仮説をとるのであったとしても、そこに反証の可能性があるようにすることがいるので、たとえ双交通の仮説(関係ありの仮説)がそれなりに有力なのであるのだとしても、それは絶対の真理とまではいえそうにない。あくまでも、さしあたってはそれなりに有力な仮説だと言えるのにとどまる。完ぺきに真理だと証明されるものだとまではいえそうにない。

 いまのところ、どちらの仮説がよりふさわしいのかでは、自民党の政治家が言っているような反交通の仮説(関係なしの仮説)よりも、双交通の仮説のほうが当たっている。自民党新宗教は、双交通のあいだがらだったのであり、おたがいに交通が深く行なわれていた。安倍元首相の考えと新宗教の考えは、交通し合うところがかなりあり、おたがいに共鳴し合っていたところが大きい。

 おたがいに交通がなりたっていて、信頼し合っていたのが、自民党新宗教だ。価値を共有し合っていたのであり、価値がお互いに交通し合っていたのである。

 たとえば、ある山があるとして、その山に登ろうとするので、おたがいに目ざすところが同じだった。おたがいに、その山の頂上を目ざして動いていた。山の頂上にいたる道がいくつかある中で、ほとんど同じ道ゆきをたどっていたのが、自民党新宗教だったと言えそうだ。おなじ山を登るのでも、たどる道ゆきはちがうことがあるけど、そうであるのではなかった。

 どういう山に、自民党新宗教とはいっしょになって登ろうとしていたのかといえば、日本の国に客観に益になるような山に登ろうとしていたのではなかった。新宗教が、日本の国に益になるような山を目ざし、そこを登ろうとするのだとは考えづらいのがあるが、自民党は、そうした山に(新宗教といっしょになって)登ろうとしてきていたのである。

 へんな山、おかしな山、ふさわしくない山があって、戦前の日本の国は、国がごういんにそうした悪い山に登っていった。よくない山に、ごういんに登っていったのである。それと似たようなことをやろうとしているのが自民党新宗教だろう。自分たちではよい山だと見なしていて、その山に登ろうとしているけど、それが悪い山であるのが、はたからはわかる。

 犯人に安倍元首相が殺される事件がおきて、だし抜けに、山に登るのがいったん一時としては止まっているのがいまの状況だろう。よくない山にいっしょに登りつづけていたのが自民党新宗教だったが、事件がおきたことによって、それがいまちょっと止まっている。

 事件がおきたあとなのがいまだけど、そのなかで、自民党の政治家は、そんな山にはこれまで新宗教とはいっしょに登ってはいないのだと言っている。自民党の政治家が言っていることはごまかしであり、事件がおきる前までは、自民党新宗教とは、よくない山にいっしょになって共に登りつづけていたのである。事件がおきたことで、それがいまちょっと止まっているだけだ。

 参照文献 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや)