安倍元首相と、韓国の新宗教との関係性―関係はあったのか、なかったのか

 殺された安倍元首相と、韓国の新宗教(新興宗教)が、関係していた。犯人はそう見なしていた。

 安倍晋三元首相を殺した犯人は、一方的に、または誤解して、安倍元首相と、韓国の新宗教とが、関係し合っているのだとしていた。テレビの報道などでは、そう報じられている。

 元首相と、韓国の新宗教とが関係していたことは、犯人の誤解だったのだろうか。一方的な思いこみだったのだろうか。

 関係があったのかどうかでは、関係がなかったことは、じかには証明できない。間接には証明できるのがあり、背理法を使える。

 関係があったのだとする仮説をかりに立ててみる。もしも、安倍元首相と、韓国の新宗教が、関係し合っていたとすれば、これこれのことがありえる。こういったことがあとに残される。あとにこん跡が残る。そういったふうに見て行ける。

 証拠(evidence)となる事実としては、安倍元首相やその祖父が、韓国の新宗教と関係していたことがいろいろに言われていて、その写真や動画などがある。

 あまりおもて立って言われることではないし、おもて立ってとり上げられることではない。おもてではあまり言われないが、裏を見てみると、じつはこうなのだといった形で、関係していたことが言われている。

 おもてに出すと、さしさわりがある。さしさわりがあるから、裏に隠される。おもてに出して、堂々とひけらかしたり、さらしたりするようなことがらではない。裏にあるからといって、それが事実ではないとはいえないだろう。あまり知られたくないことだから、裏に隠していただけであって、事実ではないからではない。

 事実の点からすると、元首相と韓国の新宗教とが関係していたことは、それなりの信頼性や信ぴょう性があることが浮かび上がってくる。まったく事実に反するようなことだとはいえないし、信頼性や信ぴょう性がまったくないことだとはいえそうにない。

 どれだけの関係の深さがあったのかでは、元首相が、韓国の新宗教の教祖だったわけではないから、そういった点では、内部ではなくて外部にいたことになる。外部にはいたが、関係はしていた。

 利害関係者(stakeholder)であったのが、元首相だった。利用したり、利用されたりするあいだがらだった。そういったことで、仲間うちだと見なされて、犯人にねらわれることになり、殺されることになった。

 犯人が言っていることに、どれだけの説得性があるのかがある。何の説得性もないのであれば、関係があったのだとする仮説は、まったく成り立たないことになる。

 関係があったのだとする仮説は、少なくともそれなりに成り立つものではあるだろう。関係がありだとする仮説は、否定し切れるものではない。背理法で見ると、間接には、関係がなかったことを証明し切れない。

 事実の点で見ると、関係があったことをしめす証拠がいくつか残っている。関係があったとすることは、まったく何の根拠もないことではない。ものすごいたしかな根拠とはいえないのにせよ、いちおう根拠はある。

 語用論(pragmatics)で見てみると、犯人が言っていることは、それがまったくのうそやでたらめであるとできる客観の確実な証拠がないかぎりは、好意の原理(principle of charity)でとらえることがなりたつ。犯人が、絶対にうそやでたらめを言っているのだとできる客観の証拠はないだろうから、実証できる見こみはある。

 犯人の言っていることに、少しの説得性もないのだとするのは、決めつけであり、先入見だろう。先入見を抜きにして、語用論や、好意の原理によって、犯人の言っていることを受けとることもいるだろう。

 参照文献 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫