安倍晋三元首相が殺されたことと、宗教―政と教の非分離

 殺された安倍晋三元首相は、韓国の新宗教(新興宗教)とつながっていた。

 安倍元首相を殺した犯人は、新宗教にうらみを持っていた。韓国の新宗教に、犯人の母親が入信して、お金をつぎこんだ。家族がこわれた。

 犯人が、韓国の新宗教と、安倍元首相とのつながりがあった中で、安倍元首相を殺したことを、どのように見なせるだろうか。

 日本の政治にはいろいろなゆ着があるけど、その中で、政治と宗教のゆ着があり、これはある点では政教の一致と言える。政教が分離していない。

 宗教は、特別利益団体の一つだと言えそうだ。顔が見えないばらばらな個人ではなくて、顔が見えるものなのが宗教の集団だ。

 顔が見えない個人は放っておかれる。しょせんは一票にしかならない。顔が見える宗教の集団であれば、組織票が見こめるから、政治家はそこに顔を向ける。

 政と宗がゆ着していて、それにくわえて報道と宗教もつながっている。報道では、韓国の新宗教のことがとり上げられずに、名前がふせられている。隠されているのである。

 鉄の三角形だと、政治家と役人と特別利益団体(業界団体)とのゆ着だ。いまの日本の政治は、それよりも角が多くなっていて、何角形にもなっている。多角形になっている。角としては、米(アメリカ)、官、財、報(報道)、宗、学(学問、大学、知と権力)、その他の特別利益団体がある。少なくとも八角形くらいになっている。

 米、官、財、報、宗、学などからなる多角形では、個人が放っておかれることになる。個人が主役になるのでないと、民主主義の政治であるとはいえないだろう。

 米、官、財、報、宗、学などによる多角形によって、軍事をどんどん強めて行くことがおし進められて行く。これらの角どうしがゆ着し合うことによって、軍事化がおし進められていって、戦争に向かって行く。

 八つくらいの角がある多角形の体系(system)によって、日本の軍事化がおし進められようとしているが、その中で、安倍元首相が殺されたことによって、政と宗や、報と宗とのゆ着が少し浮きぼりになった。

 安倍元首相が殺されたことは、それそのものはあるべきことではなかった。あるべき事件ではなかったけど、それの副産物のようなものとして、政と宗や、報と宗とのゆ着が浮きぼりになったところがあり、政と教が分離されていないで一致しているところが少し見えてきている。

 鉄の多角形(八角形)が日本にはあって、それをどのように無くすことができるのかがある。この多角形を無くす見こみは立っていなくて、止めることができなくなっている。自由主義(liberalism)の、抑制と均衡(checks and balances)がかからなくなっている。せめて、すこしであっても、多角形の加速度の動きを遅らせて、速度を減速化させるくらいはしたいものである。

 参照文献 『若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『共謀者たち 政治家と新聞記者を繋(つな)ぐ暗黒回廊(かいろう)』河野太郎 牧野洋(よう) 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫