日本の国の、防衛と依存―他への依存の現実

 日本の国を守って行く。防衛費をどんどん増やして行く。そう言われている。

 軍事によるようにすれば、日本の国を守れるのだろうか。

 日本の国を侵略などから守るさいに、かぎとなるのは、軍事だとは言い切れそうにない。かぎとなるものとしては依存がありそうだ。

 依存は、宗教の仏教でいえば縁起と言えそうだ。縁起説が言われているのがあり、いま日本があるのは、いろいろなほかの国のおかげであるとするのが、縁起の理だ。いろいろな(たとえば韓国や中国などの)ほかの国があっての日本だ。

 いろいろに依存しているのが日本である。複合の相互の依存によっている。

 あちこちに依存しているのが日本なので、あらためて見ると、日本とは何かや、日本人とは何かは、自明ではなくなっている。不明になっている。

 依存が深まっていっているのが日本であり、国際性によっている。ちょっとした依存といったようなものではなくて、深いものになっている。

 自分たちだけでやって行けているのではなくて、他のものに寄りかかりまくっているのがあり、他のものに寄りかかることが先行している。自分たちがあって他のものがあるのであるよりも、他のものがあって自分たちがある。

 悪くいえば他のものに寄生しているのがあり、よくいえば共生している。日本があるのは、共にのあり方の共生になっていて、ほかの国との共生になっている。悪くいえば、ほかの国に寄生しているとも言える。

 何をやるのにしても、日本の国だけでやって行けるのではないから、他のものの力を借りてこないとならない。他のものの力を借りてこないと、何かをやることができない。

 日本がほかのいろいろな国に依存しているのを、見かたをずらして見てみれば、世界のあり方が複合の相互の依存になっているのがある。世界が網の目になっていて、その一つの結節点にすぎないのが日本だろう。

 網の目のなかの一つの結節点にすぎないものなのが日本なのだから、そこに視点が固定化されないようにして、世界に目を広げて行きたい。国を超えた世界へ目を向けることができればよい。

 他のものに依存しなければやって行けないのが日本であるのなら、世界があっての日本であることになる。世界なくして日本なしといったことになる。または、世界あって日本なしとも言える。世界はあるといえるけど日本はない。共同幻想にすぎないものなのが日本だからだ。

 いろいろな他のものに日本が依存していて、その依存が深いものであるのは、日本の国が共同幻想にすぎないことをあらわす。他のものへの依存が深いことを否認することはできるが、その現実を否定することはできづらい。日本の国を守らないと、日本の国が無くなってしまいかねないのではなくて、そもそも日本の国は無い。だからほかのいろいろなものに日本は深く依存している。

 参照文献 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『唯識の思想』横山紘一(こういつ)