ロシアとウクライナの戦争と、悪の遍在性(ubiquitous)―悪の非偏在性や非局在性

 戦争をやっているロシアを離散(digital)ではなくて連続性(analog)で見てみられるとするとどういったことが言えるだろうか。

 離散ではなくて連続性でロシアを見るのは、量で見ることだ。ていどとして見る。

 ロシアや、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領を連続性で見て行く。これは、ロシアやプーチン大統領のようなものとして見ることだ。

 ウクライナと戦争をやっているロシアを見てみると、悪さをかかえているのはロシアに限ったことではないと言えそうだ。

 いま戦争をやっているロシアの悪さをうすめてしまうことになるかもしれないが、ロシアだけではなくて、ほかの国にも悪さがあるのだとしてみたい。

 連続性で見てみると、ロシアのようなものや、プーチン大統領のようなものは、ほかの国にもある。たとえば、フランスで大統領選を戦ったマリーヌ・ルペン氏は、ロシアやプーチン大統領のようなものに当たると言えそうだ。

 アメリカを見てみると、いまはジョー・バイデン氏が大統領をやっているけど、その前のドナルド・トランプ前大統領は、ロシアのようなものやプーチン大統領のようなものに当たる。プーチン大統領とトランプ前大統領は、おたがいに気が通じ合っているようであり、似たところがあるものだろう。

 離散で見るのだと、ロシアだけが悪いとか、プーチン大統領だけが悪いとなり、悪さが濃くなる。その濃さをうすめることになってしまうのはあるが、連続性で見てみると、フランスにはルペン氏のようなのがいるし、アメリカにはトランプ前大統領のようなのがいる。ルペン氏やトランプ前大統領は、(いまだに)人々からけっこう支持されているのだ。

 中国を見てみると、中国の習近平国家主席はロシアのようなものやプーチン大統領のようなものに当たる。ロシアのプーチン大統領がいまやっているようなことを、中国はやろうとしている。中国に先行してロシアがいま戦争をやっている形だ。

 いろいろな国を見てみると、どこの国であっても、ロシアのようなものや、プーチン大統領のようなものを抱えている。日本の国を見てみると、日本にもまたロシアのようなものやプーチン大統領のようなものがある。ロシアのような悪さを日本は抱えていて、なおかつそれが力をもっていて、かなりの人々から支持されている。

 ことわざでいう灯台下暗しといったようなのがあり、外や他は批判しやすいけど、内は批判しづらい。日本でいえば、日本の国が自分たちで自分たちを批判することはぜんぜんできていない。ロシアは日本の外にあるから、外や他に当たるものは批判をしやすい。日本によるロシアにたいする批判で浮かび上がってくるのは、日本が自分たちで自分たちをぜんぜん批判できていない点だ。

 日本の国の中にある、ロシアのようなものや、プーチン大統領のようなものを批判することがいる。日本はそれがぜんぜんできていなくて、日本の外や他のものばかりを批判している。日本の外や他に当たるものである、韓国が悪いとか中国が悪いとか、いまではロシアが悪いとかはあるけど、日本が悪いとするのはあまり言われない。日本を悪いとするところがはなはだ弱い。

 ロシアはいまは戦争をやっているから、ロシアが悪いのはあるけど、その反対に、悪くはない国があるのかといえば、それがあるとは言えそうにない。ほとんどの国は悪いところがある。ほんとうはとり上げなければならない悪いことをとり落としてしまっている。

 たとえば、日米の関係性でいえば、日本はアメリカの悪いところをとり落としているし、アメリカは日本の悪いところをとり落としている。おたがいに見て見ぬふりみたいにしている。見て見ぬふりをするのではなくて、もっと悪いところをどんどんとり上げて行き、どんどん言っていかないとならないのがある。

 いろいろに悪いところがあるけど、それらが見逃されてしまっているのがあるから、よい国と悪い国が分かれているとはいえそうにない。離散の形でよい国と悪い国があるとはいえず、連続性としてどの国もだいたい悪い。その国が悪いか、もしくはほかの国がもつ悪さをとり落として見逃してしまっている。あえて悪さに触れない。それで世界に悪さがはびこってしまっているところがある。

 参照文献 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一