ロシアとウクライナの戦争と、国民を守るか殺すか―国民を守っているのか、それとも殺しているのか

 ロシアが引きおこしている戦争とは一体どのようなものなのだろうか。

 ロシアがやっている戦争についてを、哲学者のシモーヌ・ヴェイユ氏のいう戦争の定義づけと、権力がさん奪されることから見てみられる。

 戦争とは何かを、シモーヌ・ヴェイユ氏はこう言っているという。ふつうだったら、国どうしが戦い合うのが戦争だが、そうではない。戦い合う敵の国の人たちによって、自国の人たちを殺させるのが戦争だ。

 敵の国の国民に、自国の国民を殺させる。それが戦争であるという。他の国の国民によって、自国の国民を殺させるのだ。

 自国の国民がおなじ自国の国民を殺すのだと、自滅になる。それだと戦争にはならず、内戦となる。他の国の国民が、人を殺す道具である軍事の武器を使い、それで(他国民に)自国の国民を殺させる。そうであれば戦争になる。

 戦争をおこしたのはロシアなのだから、悪いのはロシアだけど、戦争がおきている中では、他の国の国民によって自国の国民を殺させることになる。

 戦争がおきているさいに、損や害を受けるのは国民であり、政治の指導者ではない。政治の指導者は損や害を受けない。国民が主として損や害を受けることになる。

 戦争をやり合っているのがロシアとウクライナだけど、そこで権力をにぎっているのは上の政治家だ。ロシアであればウラジミール・プーチン大統領だ。

 ロシアではプーチン大統領が国の権力をにぎっているけど、その権力はさん奪されているととらえられる。あらゆる国の権力は、さん奪されることになるのがあり、完ぺきな正当性や正統性を持っているとはいえそうにない。

 あたかも正当性があるかのようによそおっているのが、ロシアのプーチン大統領だろう。ロシアの国がやっていることが、あたかも正しいことであるかのようにしている。ロシアがやっていることや、ロシアが言っていることについて、正義の響きを与えている。正義があるかのように見せかけている。

 国の権力には、さん奪される性格があり、そこから国が戦争をやることになってしまう。権力がさん奪されて、国が戦争をやることになる。上の政治家は損や害を受けないけど、国民が損や害を受けることになる。国民が(他の国の国民によって)殺されることになる。

 そこにほんとうに正当性があるのと、あたかも正当性があるかのように見せかけることとは、似ているけどちがうことだ。正当性があるのではなくて、正当性があるかのように見せかけることに熱心に力を注いでいるのがロシアだろう。

 戦争をやっているのだから、他の国の国民に自国の国民を殺させているのにほかならず、ロシアがやっていることに正当性があるとは言いがたい。権力がさん奪されてしまっているのがあるから、プーチン大統領の政治家としての正当性にも疑問符がつく。正義があるのではなくて、それが欠けているのがある。

 参照文献 『僕なら言うぞ!』吉本隆明現代思想を読む事典』今村仁司編 『政治家を疑え』高瀬淳一