ロシアとウクライナの戦争と、テレビのまずさ―テレビによる心脳の操作

 国民のうちで、八割くらいが戦争をよしとしている。ロシアでは調査でそれがわかったという。

 テレビを見ている高齢の世代ほど、戦争をよしとする人が多い。若い世代はウェブから情報をとることが多くて、戦争に反対する人が少なくないという。

 ウクライナとの戦争をよしとするロシアの国民が八割にものぼっていることをどのようにとらえられるだろうか。

 テレビからの情報は、情報の汚染の度合いが高い。汚染された情報であるところが大きい。心脳の操作をされやすい。

 国の権力によって情報の操作が行なわれているのがロシアだろう。上からの情報の統制が行なわれている。

 情報の汚染の度合いが強いと、情報の中に意図が多く含まれることになる。情報に意図性や作為性や政治性が多くおきることになり、そうとうにかたよりがおきてしまう。

 ゆがみ(bias)が情報の中にたくさん入っていると、それをそのまま丸ごとうのみにすると受け手に害になる。ゆがみが少なければ、客観や中立に近いから、それを受けとっても受け手にあまり害はない。もしも多くのゆがみが含まれた情報があるのなら、それを受けとるさいに、受け手はいちいちゆがみをとり除かないとならない。めんどうなことになる。

 国家のイデオロギー装置なのがテレビであり、自律性(autonomy)によりづらい。他律性(heteronomy)になりやすい。たんに国の権力が言っていることをそのままたれ流す。

 動画による情報なのがテレビだから、時系列(sequential)のものだ。時系列のものは、受動性が強い。新聞などの活字のものであれば気ままさ(random)によるから、あるていどの能動性がきく。

 放送は国の権力の介入を受けやすい。テレビはだめになりやすい。放送と比べると活字によるものである新聞や本の出版は、国の権力からの介入を受けづらい。

 まだテレビがなかった戦前のころには、わりと国の権力から介入されづらいものである新聞や出版が、きびしくとり締まられていた。日本では戦前には新聞紙法の法律があり、自由な報道が許されなかった。国がよしとするものしか報じられなかった。

 かつてはテレビはなかったけど、いまはテレビがあり、さらにウェブもある。テレビやウェブや新聞や出版には、それぞれによさと悪さがありそうだ。それぞれに一長一短がある。強みと弱みがある。

 列によって見てみると、一列目にあるのが新聞や固めのテレビ番組だ。二列目は固めの雑誌や少し固めのテレビ番組だ。三列目は柔らかめの大衆的な新聞や雑誌やテレビ番組だ。

 いちばんさいごの列である三列目のものが力を持つようになってきている。かつてであれば、一列目や二列目が力を持っていたけど、その力が落ちていっている。こう派(硬派)なものよりもなん派(軟派)なものの力が高まっているのだ。

 テレビやウェブがあることによって、一列目や二列目のこう派なものの力が落ちて、三列目のようななん派なものの力が高まっている。食べものでいえば、固いものをあごでかみ砕く力が弱くなっていて、よくかまなくても食べられる柔らかいものしか好まれなくなっている。

 三列目のようななん派なものが力をもつのは、食べものでいえば、生ものにあたりやすくなっている。一列目や二列目のものは、干ものに近いところがあり、生もののあたりやすさを少しは避けやすい。干ものよりも生ものが好まれることによって、生の度合いが高まっていて、よりあたりやすくなっている。

 干ものの知が活用されないで、じかに生ものを食べるようになっている。じかに生ものを食べるようになっているから、あたりやすくなっている。

 テレビは、主としてなん派なものであり、生ものによるから、あたりやすさがある。のぞましいのは、テレビだけを見るのではなくて、ウェブも見るようにしたり、一列目や二列目のこう派なものを見ていったりすることだろう。三列目に当たるなん派なテレビだけによっていると、そしゃくする力がなく、あごの力が弱いままになり、きちんとしたまともな栄養をとることができづらい。

 参照文献 『情報汚染の時代』高田明典(あきのり) 『情報政治学講義』高瀬淳一 『情報操作のトリック その歴史と方法』川上和久 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『姜尚中政治学入門』姜尚中(かんさんじゅん) 『新聞の読みかた』岸本重陳(しげのぶ) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『心脳コントロール社会』小森陽一 『細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!』細野真宏