ロシアとウクライナの戦争と、うその情報―うその、どこがどういけないのか

 ロシアは悪いことをやっている。ウクライナの人々をたくさん殺している。

 戦争の中でロシアがやっている悪いことは、すべてうその情報(fake news)だ。ウクライナによって、うその情報が流されている。ロシアはそう言っている。

 うその情報が流されていることによって、ロシアは悪いとされているのだろうか。ほんとうはロシアは悪いことをやっていないのだろうか。

 ロシアはほんとうは悪くはなくて、たんに(ロシアが悪いのだとする)うその情報が流されているのにすぎない。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はそう言うが、そこでいるのは、うその情報かどうかではなくて、うそはよくないことだ。

 うその情報が悪いのであれば、うそが悪いことになる。うそが悪いのは、だれがうそをつくさいに悪いことになるのかを見て行くことがいる。だれがのところを見てみれば、国の権力者がうそをつくのがいちばん悪いことだ。国の権力者がうそをつくと、国民に損や害がおきるおそれが高い。

 政治性によるのや、語用論(pragmatics)によるようにしてみると、たんにうその情報が流されるのや、うそをつくのがいけないのであるよりも、もっとふみこんで、立ち場性を見て行く。立ち場性においては、どういった送り手がうそをつくのかがある。

 権力を持っている人(政治家や高級な役人)と、もっていないふつうの人とを比べてみると、権力を持っている人がうそをつく方がより危険だ。権力を持っていない人がうそをついても、危険性は相対的には低い。

 おなじうその情報を流すのや、おなじうそをつくのであっても、権力を持たないふつうの人よりも、権力を持っている人のほうが、より悪い。より悪いと言えるのは、より力を持っていることによる。権力をもつのは、力を持っていることだから、より悪いことになる。

 力を持っていないのであれば、たとえば、子どもが何か悪いことをしたのに似ていて、ていどがそれほど重くはなりづらい。力を持っている人だと、大人が悪いことをするのに似ていて、ていどが重くなりやすい。

 ふつうの人がうそをつくのと、権力者がうそをつくのとでは、ちがいがあるから、その二つは分けて見ることがいる。いっしょくたにしないようにすることがいる。類似性ではなくて、差異性によって見て行く。

 ロシアのプーチン大統領は、こういった価値観を持っていなければならない。プーチン大統領が正しくあるためには、価値観として、そもそも権力者はうそをついてはならないのがある。原則論として、権力者はうそをついてはならず、ほんとうのことを言わないとならない。

 権力者のうそはいけないとする価値観があることがいるのは、それがないと、国が危ないことになるからだ。権力者のうそはよいとなると、たとえば、戦争は平和だとか、悪は善だとか、不正は正義だとかといったことになってしまう。ものごとがひっくり返ることになる。

 ロシアにかぎらず、日本の国においても、うそがそうとうにつかれてきている。いぜんから、日本では国によってうそがたくさんつかれているのだ。ロシアが戦争においてうそをついているのが悪いのだとしても、日本もまたうそをつきすぎだから、ロシアにまったくひけをとらない。うそが悪いことだとして、ロシアは悪いが、日本もまた最低でもロシアと同じくらいに悪い。悪さのていどでは、日本よりもロシアのほうが悪いとはいえそうにない。日本は国としてうそをつきまくりである。

 参照文献 『日本語の二十一世紀のために』丸谷才一 山崎正和 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ』笹原和俊 『安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方』山岸俊男 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)