ロシアとウクライナの戦争と、何がもとで戦争がおきたのか―戦争がおきた要因

 ロシアとウクライナのあいだで戦争がおきている。

 ロシアが悪いのか、それともウクライナが悪いのか。どちらが悪いから戦争がおきたかで、ウクライナが悪いのだとすることが、日本の国の政治家によって言われている。

 ウクライナはロシアを挑発した。挑発を受けてロシアはウクライナと戦争をすることになった。ウクライナが悪いことをしたから、ロシアが戦争をすることになったと言うのである。

 どちらの国が悪いのかでは、日本の国の政治家が言っているように、ウクライナが悪いのだとするのではない見かたをとりたい。

 戦争や武力の行使がおきたわけを見れば、ウクライナが悪いとは言えそうにない。戦争がおきた結果について、いろいろな原因や要因をあげられるけど、それらのいろいろな要因があったとしても、だからといって戦争をしてよいことにはならない。

 ウクライナがロシアを挑発していたとして、それは戦争がおきることの一つの要因ではあるかもしれないけど、その要因をもってして、戦争がおきることになったとする意味を引き出せるとは言えそうにない。

 要因として、挑発があったのだとしても、戦争をおこさないようにすることはできたはずだ。戦争をおこすのではなくて、おこさないほうが正しいことなのだから、戦争を否定するような意味を引き出すことがのぞましかった。

 たった一つだけではなくて、いろいろな要因があることから、戦争がおきることになった。要因を体系(system)として見て行くことができるけど、主となる要因はウクライナにあるよりも、ロシアにあると言えるだろう。ロシアが戦争をしようとしなければそれはおきなかったのだから、主の要因はロシアにある。

 ウクライナが悪いのだとするのは、ロシアは悪くはないとすることになり、原因の帰属のさせ方にまずさがおきる。ウクライナが悪いとするのは、ロシアの外に原因があるとすることだが、そうではなくて、ロシアの内に原因を帰属させてみることがいる。ロシアの外にばかり原因を当てはめるのは必ずしもふさわしいことではない。

 国際連合の憲章に反して、ロシアが戦争をおこしたことはたしかだ。国際法に反して戦争をおこしたのがあるから、そこは否定することができない。どうしてロシアが戦争をおこしたのかは、そこにいかなる要因があったのだとしても、だから何なんだ(so what?)といったところがある。いろいろとあったのにしても、それらは、戦争がおきたことに関しては、だから何なんだと言えるところがある。

 そもそも、たとえどういったことがあったとしても(どういう要因があったとしても)、戦争をおこしてはいけない。不戦や非戦や反戦であることがいる。好戦であるのはまずい。どういう理由を持ち出したとしても、戦争をすることにはつながらないから、ウクライナが挑発をしていたのがあったのだとしても、それがロシアが戦争をすることにはつながらず、戦争をやってよいことにはならないだろう。

 こういうことがあれば(たとえば挑発があれば)、戦争をやってもよいのだとはできないのが戦争だろう。戦争はいっさいやってはならないとする価値観をロシアは持っていないことがわかった。国際法に反するようなロシアの価値観のおかしさが批判されることがいる。国際法を守るような価値観を国は持つことがいる。

 三つの戦争にたいするあり方があるうちで、ロシアがとっているのは、正戦論か無差別戦争観だ。これらによるのだと戦争がおきることを防げない。戦争をしないようにするには、違法戦争観であることがいる。

 戦争と正義が結びついているのが正戦論だ。正義とは関わりなく、力の強いのと弱いのとで現実として戦争がおきることになるとする現実論のものが無差別戦争観だ。国の価値観としては、ロシアはこれらのものによっていた。違法戦争観によっていなかったことが、ロシアが戦争を引きおこしたもとにありそうだ。

 参照文献 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『クリティカル進化(シンカー)論 「OL 進化論」で学ぶ思考の技法』道田泰司 宮元博章 『人を動かす質問力』谷原誠 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博(もりすひろし)