ロシアとウクライナの戦争と、ロシアの言いぶん―ロシアの言いぶんをうのみにしてよいのか

 ロシアの戦争にまつわる事実はどうなっているのだろうか。

 ロシアが言っているように、ウクライナとの戦争では、ロシアはまったく悪くはないのだろうか。自分たちで戦争を引きおこしたのにもかかわらず、ロシアはまったく悪いことをしていないのだろうか。

 ウクライナがうその情報(fake news)を流しているのだとロシアは言っている。そのことについてを、危機の管理と、純粋さの修辞と、こん跡の点から見てみたい。

 危機の管理が問われているのがロシアだが、それができているのだとは言えそうにない。危機の管理をするうえでは、自分たちを被害者だとよそおうのはまずい。自分たちを加害者だとして、加害者の立ち場を引き受けることがいる。

 うその情報を流されて被害を受けているかのようにロシアは言っているけど、ロシアが加害の行動をしていることはたしかだろう。ロシアが戦争を引きおこしたのがあるから、少なくともその点では加害の行動をしている。

 被害を受けているのはウクライナであり、ウクライナではたくさんの人たちが殺されてしまっている。ロシアの軍によってウクライナの国内の人や物が害を受けているから、ロシアは全面もしくはそれなりより以上に加害をなしていると言えそうだ。

 どこまでがロシアがやったことで、どこまではロシアがやっていないことなのかは定かではないけど、ロシアがやるべきなのは危機の管理だ。危機への対応をしないとならないけど、危機から逃避してしまっている。

 いまは情報の技術がとても進んでいるから、世界においてすばやく情報が伝わる。悪いことをやってもごまかしづらいところがある。世界において情報網がはりめぐらされているから、ロシアが悪いことをやったことについては、ロシアはごういんには逃げづらいところがある。

 純粋さの修辞をとっているのがロシアだが、不純さをまぬがれそうにない。ロシアの国が言うには、ロシアの軍はまったく悪いことをやっていなくて、あくまでも正しいことしかやっていないとしている。

 ロシアの国や軍が、純粋さによっているのかといえば、そうとはいえず、不純なものだ。まず、ロシアがウクライナに軍を攻めこんだのは、その動機づけ(motivation)が純粋なものではありえづらい。まっ黒とは言い切れないのにしても、灰色の動機づけによるのにちがいなく、まっ白な動機づけだとはしづらい。人間はたいていは不純な動機づけで行動をおこすものだ。

 純粋さをよそおっているのがロシアだけど、それはロシアがかかえている否定の契機を隠ぺいしたうえになりたつものだ。否定の契機を隠ぺいして、その隠ぺいしたことすらも隠ぺいするような、二重の隠ぺいや抹消が行なわれる。

 純粋によいかそれとも純粋に悪いかは置いておくとしても、不純さによっているのがロシアだと言えるから、両極端ではなくて中間を見てみたい。かりに、純粋に悪とはいえないのがあるのにしても、純粋な善はなりたちづらいから、ロシアがかかえている負のところをいろいろに見て行くことがいる。

 純粋な善は置いておくとして、純粋な悪となると、とらえづらいのがある。ロシアが純粋な悪なのかどうかは、はっきりとはさせづらいのがあり、とらえるのが難しい。どういったものが純粋な悪と言えるのかは、必ずしもはっきりとはしないものだろう。

 宗教のようなものを持ち出さないと、純粋な善や悪はとらえづらい。宗教を持ち出してしまうと、超越性のようなことになり、人間が持っている合理性の限界を超えてしまう。完全な合理性を持っているのではないのが人間だから、人間がもつ有限な合理性によってとらえられないところにあるのが、完全な善や悪だと言えそうだ。

 国は何かと大きいことを言いがちだけど、それよりも小さいところに目を向けて行きたい。歴史の事実なんかでは、大きいところで言われていることよりも、小さいところに残されているこん跡のほうが、より歴史の事実を浮かび上がらせていることがある。

 大きいことは巨視(macro)だけど、それよりも小さいことである微視(micro)によって見て行きたい。大きさでは、大中小といろいろなこん跡が残されることになるが、それらのこん跡を照らし出して行き、光らせるようにして行く。

 ロシアによって消されてしまっているこん跡もあるけど、まだ残っているこん跡もあるから、残されたこん跡をどのように光らせることができるのかは、それぞれの人によるとらえ方による。大きいものよりも小さいもののほうがより事実を浮かび上がらせることがあるから、小さいものだからといってないがしろにしないようにしたい。巨視ではなくて、微視によって見ていって、細かい小さいところを見落とさないようにして行き、こん跡をとらえて行くことがいる。細部(detail)を重んじて行くようにしたい。

 参照文献 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安、大貫功雄(おおぬきいさお)訳 『現代思想を読む事典』今村仁司