ロシアとウクライナの戦争と、うその情報―ロシアを悪ものにするようなうその情報が流されているのか

 うその情報(fake news)が流されている。ロシアは、ウクライナの人たちをたくさん殺した疑いについてそう言っている。

 ウクライナの町では、たくさんの人たちが殺されて、遺体が町にいくつもあるという。ロシアの軍がウクライナの町に侵略して、軍が去ったあとに多くの遺体が残されている。

 ロシアが言っているように、ウクライナの人たちを殺したのはロシアの軍ではないのだろうか。ロシアの軍が多くのウクライナの人たちを殺したとされるのはうその情報なのだろうか。

 うその情報かどうかでは、まったくのうそやでたらめが言われているのだとは言えそうにない。どんなことであったとしても、そのことについて、それはうそだとか、それはでたらめだとか、うその情報だと言うことはできて、たとえば人類が月に行ったことも、それはうそだと言うことはできる。

 いまはロシアとウクライナの戦争に、世界の全体が関心をよせている。世界の関心がロシアが引きおこした戦争に向けられているのがある。その中で、まったくのうそやでたらめが言われて、多くの人が頭からだまされることは、必ずしも成り立ちづらいところがある。一部の少数の人ならだますことはできやすいけど、世界中のいろいろな人たちをみんなだますことは必ずしも易しくはない。

 少ない人をだますのならともかく、多くの人を頭からだますのは、経済として割りに合わないことがある。人類が月に行ったのを、ほんとうは月に行ってはいないのに、行ったのだと見せかけるのには、かなりの経済などの労力がかかり、それをすることの合理性がなくなってくる。

 どこにも穴や抜かりがないほどに、多くの人をだまし切るのは、ものによってはそうとうに難しいのがあるし、たとえそれができたとしても、得られる効果よりもかかる労力や費用がそうとうにうわ回り、損をするはめになるおそれが高い。

 罪があるかどうかでは、ロシアの国はまったく罪がなくて潔白だとはいえそうにない。少なからぬ罪を負っていて、(たとえまっ黒とはいえないのにしても)少なくとも灰色なのがロシアの国だ。

 一人の個人なのであれば、たしかな事実となる証拠(evidence)がないかぎりは、その個人には罪がないと言える。潔白だと言える。無罪推定で見ることがいる。個人ではそれが言えるけど、国においてはそれは当てはまらない。国はその地域の暴力を独占しているような暴力性をもつものだからである。

 徹底して調べて、ほんとうに確かな事実がわかったあとでないかぎりは、ロシアが悪いのかどうかはカッコに入れるべきだといったことを中国は言っている。たしかに、中国が言うように、徹底して調べて事実を明らかにすることはいるけど、そうするいぜんに、いまの時点ですでにわかっている状況証拠からして、ロシアにまったく罪がなく、完全に潔白だとは言いづらいところがありそうだ。

 わが国にはまったく悪いところはないと言っているのがロシアの国だけど、国が言っていることは最終の結論になるものではない。あくまでも仮説にすぎないことを言っているのが国だ。

 うその情報が言われているとロシアの国が言っているのは、仮説であるのにすぎず、その仮説が正しいものなのかまちがっているものなのかは定かではない。まちがった仮説をロシアの国が言っているのであれば、その仮説は実証されずに反証されることになる。

 ウクライナで多くの人たちが殺されたことについては、そのことをどのように見なすべきかがある。ロシアの国が悪いことをしたのだとする仮説があり、ロシアの国は悪いことをやっていないとする仮説もある(ロシアの国はそう言っている)。それらのいろいろな仮説は、どれもが反証の可能性をもつ。仮説が正しいものなのかどうかは定かとはいえないのがあるから、批判にさらされることがいる。

 まだ、最終の結論と言えるようなはっきりしたところはわかっていないのがあるけど、ロシアの国はまったく悪いことをやっていないとする仮説は実証できづらく、反証される見こみがそれなりにある。

 ロシアの国が言っているからといって、そのことが反証されないわけではないから、国が言っていることにきびしい批判を投げかけて行くことがいる。ロシアの国の中では、国への批判が禁じられてしまっているから、あたかも国が言っていることがそのまま最終の結論であるかのようになってしまっている。

 参照文献 『フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ』笹原和俊 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫 『考える技術』大前研一 『本当にわかる論理学』三浦俊彦