自民党や維新の会は、どれくらい人々から支持されているのか―多数派と言えるほどにたくさん支持されているのか

 いまの日本の国の政治は、一強になっている。与党である自由民主党が力をもつ。

 自民党の一強になっているのが日本の国の政治だが、あらためて見てみると、ほんとうに自民党は強いと言えるのだろうか。自民党と、野党の日本維新の会の二つを、ともに見てみたい。維新の会は、自民党と(悪い点で)似たところがあるからだ。

 力をもっていて、一強ではありながらも、あらためて見ると、自民党はそう大して支持されていない。実体であるよりは、虚偽の支持になっている。

 虚偽の支持だといえるのは、一つには、そもそもの話として、一強のあり方はおかしいからだ。一強のあり方は、ほんらいはあってはならないものだ。一強になっているのは、きちんと抑制と均衡(checks and balances)がはたらいていないのをしめす。支配の効率性はよいが、適正なあり方にはなっていない。

 自民党や維新の会は、いっけんすると支持されているようではあるが、よくよく見てみると必ずしもそうでもない。必ずしもたくさんの人たちから支持されているとは言い切れそうにはない。

 たくさんの人たちから支持されるためには、何らかの原理(principle)をもっていて、予測できるあり方(predictable)でなければならない。自民党や維新の会は、原理をもっていない。原理が無いあり方である。そのときどきで、ころころと変わる。そのときどきの場面ごとに、ああ言ったりこう言ったりとあり方が変わってしまっている。一貫性がない。予測できないあり方だ。

 原理が無くて、予測ができないあり方なのが、自民党や維新の会だ。このあり方は、日本の国に適合するところがあり、そのために、力を持つことができている。日本の国そのものが、原理が無くて、予測ができないあり方になっているから、自民党や維新の会は、それに適合しているところがあって、力を持てている。

 抑制と均衡がはたらいていなくて、一強となってしまっていて、上から力によって押さえつけるあり方になっているのが日本の国の政治だろう。上から力によって押さえつけているから、それによって自民党や維新の会はいっけんすると支持を得られているようではあるけど、下から自由に支持がおきているのではない。上からの強制のような形になっている。

 上からの強制の力がはたらいていて、自民党や維新の会にたよらせる。自民党や維新の会をたよりにさせるようなあり方になっていて、動物でいえば、猫やオオカミになっている。上にいて力をもっている猫やオオカミに従わせて行く。けっして、下からの自由な意思によって、猫やオオカミがたくさんの人たちから支持されているとは言えそうにない。

 よくよく見てみると、猫やオオカミは、そう大して支持されているとは言えないのがある。そこまでの支持を得てはいない。たんに、猫の首に鈴をかけられなくなっているのにすぎない。とりあえず上にいる猫やオオカミに従っておこうといったような消極のあり方なのだといえる。

 どのようにあるべきなのかといえば、自民党や維新の会のようであるべきだとは言えそうにない。いっけんすると力を持っているようではあるが、じっさいにはそれほど多くの支持を受けているとは言えないのが自民党や維新の会だろう。

 自民党や維新の会のあり方とは反対や逆のあり方によるようにして、きちんとした原理をもつようにして、予測できるあり方によってやって行く。一貫性があるようにして、そのときどきであり方をころころと変えない。場面ごとに、ああ言ったりこう言ったりとあり方を変えてしまわないようにすることがいる。

 参照文献 『きずなと思いやりが日本をダメにする 最新進化学が解き明かす「心と社会」』長谷川眞理子 山岸俊男 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)