どの政党が、集団としてもっともまともなのか―集団がもっている不健全さや危険性

 どの政党がいちばんよいのだろうか。政党(political party)は日本の国の全体ではなくて部分(part)を代表しているのにすぎないから、日本の国の全体と部分に分けて見ることがなりたつ。

 日本の国の全体は大きな集団であり、それよりも小さい集団に当たるのが政党だ。国と政党とでは、集団の大きさのちがいでは相違点があり、集団である点では共通点がある。

 集団をどのように統治(governance)して行くのかでは、国の統治と政党の統治に分けて見られる。この二つのいずれにおいても、集団の上が悪いことが少なくない。集団の上がうそをつく。集団の上の悪いところが見逃されてしまう。

 一般論としていえば、集団の中では上が悪くなることがおきやすいから、どのような集団であったとしても、上に何らかの悪いところがあることが少なくない。非の打ちどころがないくらいに集団の上がすぐれていることは多くはない。

 どこの政党がよいのかは、具体論であったり必須のものであったりするものだが、それとはちがい、任意で見ることができる。任意で見てみると、たいていの集団は上に悪いところがあるものだから、どの集団であっても完ぺきによいとは言いがたい。

 大きな集団なのが日本の国だが、その中で上に当たるのが与党である自由民主党の政権だ。政権はこれまでにそうとうなうそをついてきているが、これは集団において上が悪いことが多いことがあらわれ出ている。集団の中で上が腐敗しているのだ。

 野党についてを見てみると、立憲民主党はそれまで代表だった枝野幸男代表がやめることになった。立憲民主党を集団として見てみると、その上に当たるのが枝野代表がひきいる上の地位の人たちだろう。集団の中で上のところは、なにかと批判を受けやすい。すべての人たちを満足させることはできないから、集団の中の上のところが悪いとされて、叩かれることになる。

 必須で見るのではなくて任意で見てみると、だれが集団の中で上に立ったとしても、上は悪くなりやすいのがあるから、集団をひきいて統治して行くのはむずかしい。すべての人を満足させることはできづらいから、不満をもつ人が出てくることになり、それが集団の上に向かう。それはいわれのないことだとは言い切れないことである。

 集団の上の長は、集団の中から排除されたものだ。長は上方に排除されたものである。下方に排除されれば悪玉化されることになる。排除されたものであることから、集団の長は汚れたものであるのとともにきれいなものでもある。その二つの両価性をもつ。きれいなだけなのではなくて、汚さももっていて、排除の暴力をこうむったこん跡をもつ。

 集団の長をやめさせるのは、殺される王や王殺しの主題である。文学のカーニバル理論で言われるものだ。王つまり集団の長をやめさせることで、集団のあり方が新しいものに更新される。季節でいえば、冬から春や夏がめぐってくることになる。いざとなったさいに(象徴として)殺されるためにいるのが王だ。冬の王である。

 どこかの具体の集団ではなくて、任意の集団として見てみると、集団がもつ不健全さや危なさがある。国や政党は集団だから、集団がもつ不健全さや危なさがおきてくる。集団の中でよしとされていることが、あたかも絶対に正しいことであるかのようになり、教義(dogma、assumption)や教条と化す。そうなってしまうことに気をつけたい。

 日本の選挙のあり方は小選挙区制になっていて、政党の中が一つの色だけになってしまいやすいとされる。政党の上が力を持ちやすくなっていて、下がそれにさからいづらい。選挙で政党からあと押ししてもらうことがいるから、政党の中の上にさからったり文句を言ったりできなくなる。政党が集団として一つの色だけになりやすくなっていて、集団がもっている不健全さや危なさがおきやすくなっている。

 日本の国の全体でいえば、その中の上に当たる政権はうそをそうとうに多くついてきている。政権が腐敗していて、それが深刻化している。集団の中で上が悪いのが目だつ形でおきている。日本の国は大きい集団だが、それよりも小さい集団である政党にも危なさがおきているのがいなめない。

 集団のあり方がまっとうではなかったり、集団の中でとくに上がまっとうでないことが多かったりするから、そこを見るようにして行きたい。集団を優先させるのではなくて個人を優先させて行きたい。それとともに、集団の統治や運営をして行くことのむずかしさがあることがいなめず、集団の中で上が批判されたり叩かれたりすることになることが避けられない。すべての人を満足させるのができづらいのが現実だ。

 参照文献 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『二極化どうする日本』柴栗定夢(しばぐりさだむ) 『個人を幸福にしない日本の組織』太田肇(はじめ) 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『忠臣藏とは何か』丸谷才一