野党は選挙で共闘するべきではなかったのか―立憲民主党は共産党といっしょに組むべきではなかったのか

 選挙で、野党どうしが共闘するのは失敗だった。共闘しても野党は選挙で勝てなかった。与党である自由民主党が勝った。野党の立憲民主党日本共産党といっしょに組んだのはまちがいだった。自民党の関係者などはそう言っているが、それは当たっているのだろうか。

 自民党の関係者などが言っていることをそのまま丸ごとうのみにはできづらい。たしかに、野党が共闘しても、選挙では勝つことができなかった。自民党が勝つことになったのはある。それはたしかだが、それは野党の共闘が無力だったからだとは必ずしも言い切れそうにはない。

 こうすれば野党はもっと自民党に勝てる。自民党を負けさせられる。自民党の関係者がそれを助言してくれるのであればまだ聞く耳を持つことができる。より有効な手だてを助言してくれるのでなくて、ただたんに野党の共闘を否定するだけなのであれば、野党の力をより高めて行くことにはつながりづらい。

 小選挙区制においては、自民党に勝つために、野党どうしがまとまって行かないとならない。野党どうしがばらばらでやっていっても自民党には勝ちづらい。野党どうしがまとまって共闘して行くことはそれなりより以上の合理性があるのだ。共闘をやめてしまうのは合理性に欠ける。共闘をやめることは、自民党が選挙で勝つためには合理性があると言えるだろう。

 共闘をしても野党が選挙で自民党に勝てなかったのは、共闘が無力だったからなのではない。共闘が無力だったのだと見なすのは、表面的な見なし方だろう。よりつっこんで見てみれば、共闘がだめなのではなくて、日本の選挙のあり方にいろいろな悪いところがあることがわざわいしている。

 それだけをやれば選挙で勝てるのであれば、それは十分条件(sufficient condition)だ。それをやるときにだけ選挙で勝てるのであれば、それは必要十分条件だ。共闘することが原因になって、選挙で勝つ結果が出る。共闘が必要十分条件になっているのであれば、共闘をしたときにだけ野党は選挙で勝てる。

 それをやらなかったとしても野党が選挙で勝つことができるのであれば、それが必要条件(necessary condition)にはなっていないことをあらわす。野党が勝つために、共闘は必要な条件にはなっていないのかといえば、そうとは言えそうにない。それだけをやっていれば野党が選挙で勝てるのではないが、野党が選挙で勝つためにはいる条件の一つになっているのが共闘だろう。

 比較によって見てみられるとすると、野党が共闘をするのは優で、共闘をしないのは劣だろう。共闘は優だとはいっても、それだけをやっていれば野党が選挙で勝てるようにはなりづらい。それだけをやっていれば勝てるのではないが、もしも共闘をしなければ、劣になることになり、ますます野党は選挙で勝ちづらくなる。

 なかなか野党が選挙で勝つことはできづらいから、共闘をしたとしても勝てる保証はないにしても、共闘しなければなおさら勝ちづらい。共闘をすれば、それが原因となって、選挙に勝つ結果が出るとはいえないが、しないよりもしたほうがましなのが共闘をすることだから、より強い理由(a fortiori)によって、野党は共闘をしたほうがよいことになる。

 それをしなかったとしても楽に勝てるくらいに野党が力を持っているのであれば、共闘をしなくてもよいだろうが、現実はそうではない。野党には力がないから、共闘をするようにして、少しでも自民党に勝てる確率を高めて行く。野党が勝てる確率をたとえ一パーセントであったとしても上げて行く。

 現実には野党の力がおよばずに自民党が勝ってしまうのだとしても、それは野党の共闘がだめだからなのではなくて、選挙のあり方にいろいろなおかしさがあることが大きい。共闘がだめだとするのは、論点がずれているものであり、選挙のあり方のおかしさを改善することが重要だ。

 参照文献 『つながり、変える 私たちの立憲政治』中野晃一 聞き手 田中章史 『クリティカルシンキング 入門篇 実践篇』E・B・ゼックミスタ J・E・ジョンソン 宮元博章、道田泰司他訳 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信