医療の崩壊のおそれと、西洋の医療が抱えるまずさ―近代の機械論のあり方

 ウイルスの感染が増えていることで医療の崩壊が危ぶまれている。このことについてをどのように見なすことができるだろうか。

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が増えていることで医療の受け入れがひっ迫しているが、これはいっけんすると医療の容量の不足だと言える。いっけんするとそう言えるのはあるが、それをあらためて見てみると、量だけではなくて質もまた関わっている。

 質についてを見てみると、近代の西洋の医療にはいろいろなまずさがある。西洋の医療は人間を物質だと見なす。人間の体を部分に分解してとらえて行く。有機体論(organism)や生気論ではなくて機械論(mechanism)がとられる。物質を主とする機械論がとられることによって、人間の生の意味や価値といったことが失われてしまう。

 西洋の医療にはかなりの強みがあることは確かであり、それは物質を主とする機械論から来ている。西洋の医療は器質についての異常をあつかうのに長けているのだとされるが、そのいっぽうで機能の異常をあつかうのは弱い。働きの弱まりがおきているのが機能の異常であり、それをとりあつかうのには西洋の医療は長けていない。いわば盲点のようなものである。

 一長一短といったことがあるから、何から何までまんべんなくすぐれているといったことではなくて、どこかがすぐれていれば別のどこかが劣っているものだろう。長所があるのだとすれば、それをうら返せば短所があることになる。どこかが突出して抜きん出ていれば、別のどこかのできが悪い。

 疑問形でとらえられるとすると、西洋の医療はどのように(how)の点ですぐれたところがあるけど、何の意味があるのか(what)やなぜなのか(why)といったことに答えてくれるものとは言えそうにない。何の意味があるのかやなぜなのかのところは切り捨てているものだろう。西洋の医療は科学によるものだ。何の意味があるのかやなぜなのかの意味や価値は科学よりも宗教などがあつかうことがらだ。

 いまでは医療と宗教は別々のものだが、むかしはそれはつながり合っていたという。世界の有名な宗教の聖人はすぐれた医師や治療師でもあった。呪術によって病を治すことにたずさわっていたという。ことわざでは病は気からといわれるが、いわばその気によって治療をしていた。

 気のところは非科学のところがあり、科学によってはうまく説明がつきづらいところだろう。数値化できないところだ。経済では、人々の気の持ちよう(心の持ちよう)から景気が悪くなるといったことが説明されることがあり、それと通じるところがある。人々の気の持ちように働きかけて気の持ちようを変化させようとする経済や金融の政策がある。

 近代の世界は有機体論や生気論が負けて、機械論が勝つあり方だ。物質を主とする機械論が勝つことで、それが世界に広く広まって行く。科学技術が高度に進むことになるが、そのいっぽうで生きる意味あいや価値といったことがどんどん失われて行く。生きる意味あいや価値がわからなくなって行く。虚無主義(nihilism)におちいることになる。

 近代の世界の中で、いろいろな国があるうちで、日本はそれなり以上に科学技術の力をもっている国だろう。(文化は置いておけるとして)物質の点で言えば文明の力がそんなに劣った国ではないのが日本ではあるが、その日本の国を持ってしても、西洋の医療の行きづまりのようなものがあるのがうかがえる。行きづまりがうかがえるのは、近代において機械論が幅をきかせすぎていることによるだろう。

 ただたんに医療の容量をどんどん増やしていって、医療を充実させればよいのだとは必ずしも言えそうにない。その方向を進めて行くにはばく大な財源がいる。国の財政における制約がかからざるをえない。日本の国の財政はばく大な借金を抱えているからゆとりがまったくない。

 西洋の医療はとても大きな力を持っていることは確かではある。いまいちど西洋の医療をあらためて見てみると、器質の異常には強いが機能の異常には弱いといった一長一短があり、たのもしくて力強いがそのいっぽうで無力や非力でもあるといった両義性(ambivalence)や不協和を抱えている。

 医療へのとらえ方に矛盾したところがあり、医療にありがとうと大きく感謝しつつも、医療のいたらなさや不十分さを攻撃することがウイルスの感染が広がる中で日本ではおきている。そのときどきで矛盾した感情がはき出されている。

 感謝することでいえば、ウイルスの感染が広がっている中で、これほどありがたいものはないのが医療だから、感謝してしすぎることはない(いくら感謝してもし足りない)のはたしかだ。矛盾したことが言われるのは、西洋の医療を大きくたのみにしすぎていることから来ているものかもしれない。大きくたのみにしすぎることによって、医療の限界があらわれ出ることになる。

 参照文献 『目からウロコのネジレ学入門 すべての病気は背骨の捻(ね)じれから』浜田幸男 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『近代の思想構造 世界像・時間意識・労働』今村仁司 『神、この人間的なもの 宗教をめぐる精神科医の対話』なだいなだ