国会を重んじるべきか、軽んじるべきか―くだらない質問を国会でする野党の議員が悪いのか

 たとえ国会をひらいても、野党の議員がくだらない質問をするだけだ。くだらない質問が行なわれるくらいだったら国会はひらかないほうがましだ。そう言われているのがあった。

 たしかに、国会での与党と野党のやり取りは、くだらないと言えるところがないではない。どこを切り取ってもすべてが完全に充実しているとは言えないものだろう。国民のほうに顔を向けたやり取りではなくて、いかに支持を増やすかの思わくで動いていることが少なくない。政治家にとって重要なのは国民の幸福であるよりは自分たちの票である。

 国会でくだらないやり取りが行なわれるから、国会はどうでもよいし、臨時国会はひらかなくてもよいのだろうか。そうであるとは言えそうにない。国会でのやり取りのあり方にだめなところがあるのであれば、その対策として、国会をひらかないようにするのではなくて、いかに国会の中で少しでも生産性があって有意義なやり取りが行なわれるようにできるかを探るべきである。

 国会をひらかないのではなくて、ひらいたうえで、いかにそのなかで意味のある充実したやり取りが行なわれるようにできるかを探るようにして行きたい。国会をひらかないようにしたり、国会でのやり取りをないがしろにしたりするのは、たんなる国会の軽視にすぎない。国会の軽視は危険なところがある。

 憲法の第四十一条では国権の最高の機関なのが国会なのだとされる。ほんらいであれば、政治において国会がもっとも重んじられることがいる。行政と司法と立法の三つの権力があるうちでもっとも大切なのが立法や権力の監視をになう議会だ。もっとも重んじられなければならないのが議会である国会だけど、それをひどく軽んじているのが与党である自由民主党である。そこにまずさのもとがある。

 政治において、政権にたいして質問をさせないとか、批判をさせないといったことが行なわれている。議会である国会の軽視はそれと関わるものである。

 よい質問か悪い質問かは価値についてのものだが、かりによい質問を投げかけたとしても与党である自民党の政権はまともに答えることがない(できない)ものだろう。よい質問か悪い質問かは価値によることだけど、たとえよい質問であったとしてもそれに答える保証はないのだから、どちらかといえば価値についてが大事なのではない。よし悪しは置いておいて、自由に質問が行なわれるようにして、それが質問であるからにはできるかぎり答えて行くといった形式のところが大切だ。

 政権がよしとする質問しかしてはならない。そういったふうになっているが、質問のよし悪しの価値を政権が決めるのはよいことではない。よし悪しにおいては、政権がよしとする質問には価値がなく、政権がよくないとする質問には価値があるといったことがめずらしくない。どういう質問がよいのかを政権が決めるのではなくて、自由にいろいろな質問がどんどんさかんに行なわれて、自由に政権への批判がばしばし行なわれたほうがよい。

 議会である国会を軽んじることが行きすぎれば、議会を頭から否定することになる。そうなると民主主義が専制主義や独裁主義に横すべりすることになる。日本のいまの政治はそれになりかかっているといってよいだろう。せとぎわである。きびしく見れば、日本の政治において議会である国会はかなり骨抜きにされてしまっていて、そうとうに壊されてしまっている。

 いっけんすると議会である国会でやり取りをして話し合うのは、それほど重要ではないことのようだ。ものごとを進めて行くことのさまたげになったり、そのじゃまになったりするかのようだ。だから国会を軽んじたり、頭から否定したりしたほうがよいとされがちだ。いっけんするとそう見なせるのがあるが、そこに危なさがあり、わながあると言える。

 国会を否定すれば政治がよくなるのではなくて、むしろその逆にはたらく。いっけんすると堂々めぐりでうとましい議論のやり取りをすっ飛ばせば、ものごとを速やかに進めて行けそうである。ものごとを速やかに進めて行くことにはつながるかもしれないが、まちがった方向につっ走るおそれが大きくなる。

 政治にはもどかしさがつきまとい、なかなかものごとが前に進んで行かないのがある。それだからといって、議論のやり取りをすっ飛ばしてしまうと、そこに危なさがおきてくるのを避けづらい。政治から逸脱してしまい、政治ならざるものと化す。政治ならざるものとは、相対化されたおだやかなものではなくて、これこそ(これだけ)が正しいのだといった絶対化されたものを目ざすものだ。

 いまの日本の政治は色々な駄目なところがあることがいなめない。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染が広がっているなかで、政治のだめさが浮きぼりになっている。悪いところがやや可視化されている。政治のだめさやおかしさのもとにあるのは、国会を軽んじていることにある。国会を軽んじているから、政治がだめになっている。

 政治を少しでもよりよくして行くには、軽んじられがちな国会を重んじて行く。国会を重んじるのではなくて軽んじつづけるのであれば、日本の政治のだめさがさらにどんどん深まって行く。だめさが深まって行くことに歯止めがかかることがのぞめそうにない。

 参照文献 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『議論のレッスン』福澤一吉(かずよし) 『十八歳からの民主主義』岩波新書編集部編 『一冊でわかる デモクラシー a very short introduction』バーナード・クリック 添谷育志(そえややすゆき)、金田(かなだ)耕一訳 『質問する力』大前研一