五輪の開催と、テレビの高視聴率と、ウイルスの感染の増加

 ウイルスの感染が増えているのと五輪をひらいたこととは関係がない。それらのあいだに因果関係はない。五輪相はそう言っている。

 五輪相がいうように、五輪をひらいたことは、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染が増えていることとは関係がないのだろうか。それらのあいだに因果関係はないのだろうか。

 テレビで五輪を見た人が多かった。テレビの視聴率が高かった。そのことをもってして五輪をひらいたことはウイルスの感染が増えることにつながらなかったと五輪相はしている。

 テレビの視聴率が高かったことは、五輪がウイルスの感染につながらなかったことをしめすものだとは言えそうにない。テレビの視聴率が高いか低いかは、五輪そのものとはじかに結びついているとはいえないものだろう。もしも視聴率が低かったら、五輪によってウイルスの感染が増えたことを意味するとは言えないのがある。

 視聴率が高かったのだとしても、ウイルスの感染は増えているのだから、ウイルスの感染が増えていることと五輪をひらいたこととのあいだに関係がある見こみがある。

 視聴率が高くて、ウイルスの感染が少ないのであれば、たくさんの人がテレビで五輪を見たことによって、ウイルスの感染が増えることを防いだ見こみがもしかしたらあるかもしれない。

 東京都で夏に五輪をひらいたことと、テレビの視聴率がどうなのかと、ウイルスの感染が増えていることとは、それぞれがもともとは別々のことがらだ。五輪をひらいたことは、視聴率がどうかとはちがうことがらであり、五輪すなわち視聴率(またはテレビの視聴)なのではない。五輪は視聴率の数字に還元やわい小化されるものではないだろう。

 五輪と視聴率とウイルスの感染の増加は、それぞれが別々のものだから、それぞれを切り離して見るべきだろう。それらのあいだに因果関係があるのかどうかは、それらのあいだに関係性があることを読みこむものだから、どのように関係性を読みこむのかどうかはていねいに見て行くことがいる。

 ざつに関係性を読みこむくらいなのであれば、それぞれを別々に切り離して見たほうがよいものだろう。それぞれを切り離しておいて、それらにもしも関係性を読みこめるのであれば、それを読みこむことがなりたつ。順番としては、分かれているものを結びつけるといった流れだ。

 まずそれぞれが分かれているのがはじめにある。それぞれが別々の現象としてある。五輪をひらいたのは一つの現象であり、視聴率も現象であり、ウイルスの感染が増えていることも現象だ。それらのそれぞれの現象があり、それらがたがいに原因と結果の関係性にあるのであれば、そこに因果関係がなりたつ。

 複雑系(complex system)になっているのがあるから、いっけんするとまったく関わり合いがなさそうなことが、じつは大いに関わり合っていることがある。ことわざでいう風が吹けば桶屋がもうかるではないが、風が吹いたことと、桶屋がもうかることとは、まったく関わり合いがなさそうでいて、じつは関わり合いがあるのだ。

 複雑系になっているのをくみ入れられるとすると、さまざまなことがらどうしが入り組んでいてからまり合う。もつれ合う。きれいにそれぞれをほどくことができづらい。いろいろなものどうしがつながり合っているのがあるから、五輪をひらいたこととウイルスの感染の増加は、そこに何の関係性も読みこむことができないくらいにちがうことがらどうしだとは言えそうにない。すごい意外性があるといったほどには脈絡や文脈を異にしているとはいえないものだろう。

 参照文献 『「科学的思考」のレッスン 学校で教えてくれないサイエンス』戸田山和久 『「複雑系」とは何か』吉永良正