自然災害の被害をおさえるために、自然を整備することと、国の財源の問題

 国の財源がない。財源が苦しい。そのために、川を整備することなどの、自然災害の被害をおさえることに使えるお金を出しづらい。

 強い台風が上陸したことによって、日本の各地の川で水があふれ出て、大きな被害がおきている。自然災害の被害をおさえるために、何をなすことがいるのか(必要だったのか)が問われている。

 川を整備することなどの、自然災害の被害をおさえるためにお金を使うことは、かなり優先順位が高いことだと見なせる。たとえ国の財源が苦しいからといって、そこにお金を使わないようにするのは適したことではない。そうした見かたがなりたつ。

 そのことについては、むしろ逆に見なすこともまたできる。なぜいま国の財源が苦しくなっているのかというと、その一つの要因として、これまでに無駄な公共事業が行なわれてきたことによるのがある。理念がない公共事業がさまざまなところで多く行なわれてきたことによって、国の財政の赤字がたまって行った。

 過去をふり返り見れば、長期の政権をになってきた与党の自由民主党によって、ばらまき政治が行なわれてきた。それによって、とくに理念のない公共事業が行なわれて、自然は壊されたし、地域の経済もおかしくなった。地域の経済の自立性が失われた。

 自然災害をおさえるために、自然環境を整備するかしないかという二元論で見ることは適したこととは言えそうにない。自然環境を整備するにしても、自然をできるかぎり壊さないようにすることもまたいる。過去の自民党によるばらまき政治のように、とくに理念がないままに自然環境に手を入れても、自然を壊すだけに終わってしまうことになりかねない。自然の破壊という負の遺産をあとに残す。有効にお金を使うことにはならない。それでいま国の財政が苦しくなってしまったのは無視できない。そのことを省みることもまたいることだろう。

 参照文献 『カヌーで来た男』片岡義男 野田知佑(ともすけ) 佐藤秀明 『川からの眺め』野田知佑