さまざまな研究が行なわれている。東京都の小池百合子都知事は、関東大震災のあとでぎゃく殺がおきたことについて、そう語っている。
かつて関東大震災のあとで、朝鮮の人たちがぎゃく殺された。それへの追悼の文を送らないのが、小池都知事だ。さまざまな研究があるからだという。
たしかに、たった一つだけではなくて色々な研究があるのだろうけど、そうだからといって、ぎゃく殺された朝鮮人への追悼の文を小池都知事は送らなくてよいのだろうか。
はっきりした態度を示さずに、はぐらかしているのが小池都知事だ。あいまいな態度をとっていることへ批判がなされている。東京大学の八三人の教授などが、小池都知事のあり方を批判している。学説への信頼をこわしているとしている。
歴史修正主義なのが小池都知事のありようだ。物語論によっている。さまざまな研究があるのだとしているのは、さまざまな物語があると言いかえることがなりたつ。
たった一つの大きな物語はなりたちづらい。これが絶対に正しいのだとする一つだけの大きな物語はなりたちづらいけど、そうであるからといって、色んな物語がありすぎるのだと、あれもこれものあり方におちいってしまう。
色々な物語があるうちで、その価値はさまざまだ。負の価値をもつものなのであれば、それにたいして批判が投げかけられることがいる。
どちらかといえば確からしさが高いのが土台のところだ。物語の土台にあたるようなこととして、歴史の認識がある。下の土台のところはわりに確からしさがあり、事実に近い。
ふ分けをしてみると、下の土台のところと、上の建て物のところがある。小池都知事がとっている態度は、上の建て物のところについてだろう。下の土台のところである歴史の認識は確からしさがわりに高いのだから、そこはしっかりと認めるようにすることがいる。
どういうことがかつてあったのかでは、いつどこで誰が何をどうした、がある。そこについては自由がききづらくて、強制のところがある。いつどこで誰が何をどうしたについては自由がききづらいけど、そのことをどう解釈するのかは人それぞれでちがいがおきてくる。
ふ分けをしてみると、何でもかんでも自由がきくのではなくて、自由がききづらいところと少し自由がきくところがある。自由がききづらいところもあるのだから、そこは認めるようにすることがいる。おきたこと(いつどこで誰が何をどうした)への解釈についてはちがいがおきてしまい、少し自由がきくところだろう。
逆から見てみれば、かつてのできごとにまつわる人たちをぜんぶだますことはできないことだ。できごとの関係者のぜんぶをだますことはできないのがあり、そのできごとそのものがうそだったとすることは非合理になる。
そのできごとが起きたことについては、それに関係する人が何人もいれば、すべての関係者をうそによってだまし切ることはなかなかできないことだ。
物語の下の土台にあたることとして、こういうできごとがかつてあったのだとされている定説や通説が学問の世界であるのだとすれば、その定説や通説をまるっきり頭から全否定するのはやりすぎであり、非合理や非論理になってしまう。
いくら、色々な研究があるのだとはいっても、いったい誰がどういう目的でそれをやるのかがある。どういうふうに研究をするのかでは、学問をあげられる。本当のことである真実を明らかにして行く営みなのが学問だ。
何が欠けてしまっているのかといえば、学問を重んじるのが欠けているのが小池都知事だろう。原理として学問を重んじて行く。真実をできるだけ明らかにして行く。学問を軽んじてしまうと、原理がなくなり、あれもこれものあり方になってしまう。
もっているべき倫理観がある。どういう倫理観を小池都知事はもつことがいるのかといえば、歴史の真実を重んじて行く。学問を重んじて行く。ふさわしい倫理観をもつようにして、それを持っていることを示して行く。
たんに一方的に小池都知事の考えを言うだけではのぞましくない。小池都知事のふるまいに東大の教授などから批判が投げかけられているのがあるのだから、それをしっかりと受けとめて行く。東大の教授などと、交通(communication)し合う。
合理性の限界をもつのが人だ。限定された合理性しかもっていない。だれしも人であればまちがいはつきものだ。政治家や役人も人なのだから、東京都のなしていることを、より良いものにして行くために、都政を修正する。改善するようにする。
かたくなに、関東大震災でぎゃく殺された朝鮮人への追悼の文を送らないのが小池都知事である。かたくなさが見て取れるのがあるけど、まちがったことをやっているのであれば修正するべきである。
さしあたっては正しいとされる歴史を都合よく修正してしまうと、歴史修正主義になるからよくない。自分かってに歴史を修正してしまってはまずいが、小池都知事がまちがったことをやっているのを自分で修正するのはよいことだ。
何を修正するべきかでは、さしあたっては正しいとされる歴史はうかつに修正しないようにしたい。政治家が自分のなしていることの誤りを修正することはどんどんやったほうがよい。自分を修正することがないと、政治家がまちがったことをやりつづけることになり、政治が改まって行かなくなる。
参照文献 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『歴史を学ぶということ』入江昭(あきら) 『歴史学ってなんだ?』小田中(おだなか)直樹 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『本当にわかる論理学』三浦俊彦