なんで、鼻をつまんででも、蓮舫(れんほう)氏に票を入れるべきなのだろうか。
今回は、鼻をつまんででも、蓮舫氏に入れよう。東京都の都知事の選挙ではそう言われているのがある。ウェブの X(Twitter)で言われている。
いま都知事をつとめている小池百合子氏は、動物でいうと猫に当たる。
ねこの首に鈴をかけに行く。蓮舫氏に投票することによって、それができるのである。
ねずみたちが、なかなか猫の首に鈴をかけに行こうとしない。ねずみたちがみんなでまとまって猫の首に鈴をかけに行ければよいけど、それがうまくできていないのが現実だ。
報道によると、小池百合子氏が勝つ見こみが高い。ほかの候補者を大きく引きはなしているという。蓮舫氏などのほかの候補者は追い上げてはいるものの、小池氏には追いついていないのが今のありようだ。
かんたんに猫の首に鈴をかけることができるのなら、社会の矛盾(dilemma)がうまく片づく。東京都では、猫に当たる小池氏がかなり力を持っているから、矛盾が片づきづらい。矛盾が深まりつづける。
東京都から少し離れてみると、日本の国における猫なのが与党の自由民主党だ。大阪では日本維新の会が猫だ。
それぞれの猫は、仲間どうしである。東京都の猫は、日本の国の猫と仲間だ。大阪の猫は、日本の国の猫と仲間である。第二自民党なのが維新の会だ。
たった一匹だけでやっていっているのではなくて、猫どうしで複合体をなす。複合体が形づくられているのがあるから、そのうちの一匹の猫の首に鈴をかけるのであってもたやすくはない。
はじめのころの小池氏は、猫の首に鈴をかけに行くねずみのようなところがあった。反自民のところがあったけど、東京都の都知事に選ばれてからは、自分が猫になったのである。自民党と仲間うちになってしまった。もともと自民党にいたのが小池氏だから、一時の反自民は見せかけにすぎなかった。
人それぞれで、小池氏をどのように見なすのかはさまざまだろう。小池氏についてを良いと見なす人もいるだろうけど、その中で、猫に当たるものだとしてみたい。小池氏が都知事でいつづけると、社会の矛盾がそのままになってしまう。ねずみたちがみんなで協調し合い、猫の首に鈴をかけに行かないとならない。
汚れがけっこうたまってしまっているのが東京都だろう。そうじをしなければならない。そうじをするためには、猫の首に鈴をかけに行くことがいる。ねずみたちがそれを行なう。
乱ざつさ(entropy)がそうとうにたまっているのが東京都だろう。より広いところでは、日本の国にもかなりの乱ざつさがたまっている。東京都では、小池氏がまた都知事に選ばれてしまうと、そうじができない。汚れをきれいにできないのである。猫が力を持ちつづけていると、乱ざつさがどんどんたまって行く。
どのような候補者に票を入れるのかは、人それぞれの自由だ。その中で、鼻をつまんででも、蓮舫氏に票を入れることが呼びかけられている。とんでもなく良いのが蓮舫氏だとは言えないのにしても、猫の首に鈴をかけて、社会の矛盾を片づけないとならない。
日本には何匹も猫がいるけど、それらのぜんぶの猫の首に鈴をかけられれば良い。ねずみたちがみんなで協調し合えればよいけど、非協調のねずみたちが少なくない。非協調のねずみたちが少なくないから、社会の矛盾が片づかないのである。
ねずみたちの持っている動機づけ(incentive)がよい方向に向く。よい方向に動機づけが向いて、反小池、反自民、反維新といったようになれば良い。東京都では、鼻をつまんででも、蓮舫氏に票が入れられればよい。猫どうしの複合体はかなりの力を持っているから、小池氏が勝ちやすい。蓮舫氏が勝つのはなかなか難しそうだ。
小池氏が負けて、蓮舫氏が勝つ。確率としては、蓮舫氏が勝つ見こみはそこまで高くはないかもしれない。日本では、臨界の質量(critical mass)にまでいたりづらい。臨界の質量にまでいたれれば、ねずみたちがみんなで協調し合い、猫の首に鈴をかけることがなりたつ。
現実を見てみると、臨界の質量にまで届きづらいのが日本のありようだ。非協調のねずみがけっこうおきてしまうから、良くないものが勝ってしまう。良いものが負けてしまう。だめなものが勝ち、選ばれることになる。猫が勝ってしまう確率がけっこう高いのである。
参照文献 『社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』山岸俊男 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや)