政治のうら金の、根本(radical)の原因の解明

 政治のうら金を作らせないようにして行く。そのためにいることは一体どのようなことなのだろうか。

 どのような法の改正をすれば、うら金の再発の防止になるのかがある。

 あくまでも現象に当たるものなのが、政治でうら金が作られることだ。

 意味がなかったり効果がなかったりすることをやっても、再発の防止にはならない。意味や効果がないこととして、現象に手を打ってしまうものがある。

 何をやらないとならないのかといえば、すみやかにうら金についての法の改正をすることだとはいえそうにない。たとえすみやかに法の改正をやったとしても、現象に手を打つことにしかならないのであれば意味がない。効果がないのである。

 うわべにおいて、うら金の法の改正がなされるのだとしても、そこをよくよくじっくりと見てみないとならない。たんに現象に手を打っているだけなのだとしたら、何か意味があることがなされたのだとはできそうにない。意味がないことがなされてしまう。

 現象についての、原因をさぐって行く。核心に当たる原因を探るようにする。要因を体系(system)として分析して行く。もれなくだぶりなくの MECE(mutually、exclusive、collectively、exhaustive)によるようにする。

 核心に当たる原因をさぐって行くためには、なぜなぜ分析をやって行く。民間の自動車会社のトヨタ自動車でやられているものである。なぜそうなのか(why so?)の問いかけを何回もくり返す。現象のおくまで深く見て行くようにする。

 政治への不信がおきているのがある。うら金が作られたことによる。政治の不信がおきていることもまた、あくまでも現象に当たるものにすぎない。現象に手を打つのでは、政治の不信を改めることはできない。

 与党である自由民主党の政治家は、政治の不信について、現象に手を打っているのにとどまる。政治の不信をまねいたことを、おわびしているのがあるけど、おわびするだけでは現象に手を打っているだけであり、原因に手を打っていることになっていない。

 ほんとうに政治の不信を改めようとするのであれば、その現象の原因をさぐって行く。うら金を片づけるのと同じことをやることがいる。現象に手を打つのだと意味がないから、核心に当たる原因を見つけて行く。核心のところに手を打つのでないとならない。

 ものごとを二つにふ分けしてみると、現象と原因に分けることがなりたつ。あと周辺と核心にふ分けすることもなりたつ。政治のうら金のことや、政治の不信のことでは、現象や周辺にとどまっていては、意味があることができないのである。そこに注意したい。

 現象や周辺にとどまるのだと、たとえ意味があることをなそうとしてもそれをなすことができない。核心に当たる原因を探っていって、それを見つけ出すことがいる。要因を体系として分析するのや、もれなくだぶりなくの MECE や、なぜなぜ分析がしっかりとやられているかどうかがかんじんだ。過程にしっかりと労力をかける。それで結論(conclusion)を出して行く。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『考える技術』大前研一橋下徹の問題解決の授業 大炎上知事編』橋下徹 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人 『中高生のための憲法教室』伊藤真(まこと)