公の文書と、その確からしさ―歴史(歴と史)の点から見てみる

 ねつ造の文書だ。あやしい文書だ。省庁から出てきた公の文書についてそう言っているのが、元総務相だ。

 ほんとうにごく少数(元総務相と、そのとり巻き)ではあるが、公の文書について、ねつ造だとかあやしいとかと言われているのがあるけど、本当にそうなのだろうか。

 総務省から出てきた公の文書を、歴史の点から見てみると、それを史料(evidence)だと言えそうだ。歴史の証拠となるもの(証拠の可能性があるもの)の一つだ。

 史料の史の字は、書くことの意味だ。書かれたものなのが史料だ。歴史の歴の字は、起きたことや体験したことの意味だ。

 あったことを、書いたものなのが、歴史だ。

 史料については、それを受けとるさいに、批判を行なうことがいるのだとされる。批判は、本質をぎんみすることだ。その史料が、良いものなのかどうかを、批判として見て行く。自由民主党の元総務相がやっているように、一面で決めつけるのではなくて、じっくりと確からしさをぎんみして行くことがいる。

 交通で見てみると、いまとかつてのいまかつて間(かん)によるものなのが歴史だ。かつての時点にあったことを、いまの時点においてとり上げる。かつてを忘却化したり風化させたりしないようにして行く。かつてにおいて残されたこん跡を、ていねいにとり上げるようにして、かつてがどうだったのかをじっくりとさぐって行く。かつてを想起して行く。

 たんなる文書なのではなくて、省庁の役人が作った公のものなのであれば、形式が整っている。形式論からいえば、形式が整っているのであれば、内容(実質)があるていど確かなものになっている。

 実体としてその文書がどういうものなのかをじかに言ってしまっているのが元総務相だ。実質論をとっているのが元総務相だけど、それだと形式論を切り捨てて捨象してしまっている。

 形式と実質を組みで見てみて、形式にのっとっているのかどうかを見てみることがいる。どういう範ちゅう(集合)にある、どういう価値のものなのかの、二つを見て行く。公の文書の範ちゅうにあるのなら、それはだいたいどういう価値をもつことになるのか、といったように見て行ける。

 広い通用性があるとはいえないのが、元総務相が言っていることだ。物語論で見てみると、広く通用する大きな物語だとはいえないのが、元総務相が言っていることである。公の文書が、ねつ造だとかあやしいのだとかとするのは、ごく一部の人たちには通用するだろうが、小さな物語になっている。

 客観そのものであるよりは、物語(story)になってしまうところがあるのが歴史(history)だ。物語論からはそう見なすことがなりたつ。どうしても物語になってしまうのが歴史にはあるから、元総務相による物語に持ちこむ。それが正しいかどうかはともかくとして、自分の物語にもって行くことはできてしまう。

 たとえ歴史についてを物語にもって行くことができるのだとしても、その物語が反証の可能性をもつことがいる。反証主義からすればそう見なせる。反証の可能性は、うそが証明できる可能性だ。

 元総務相による物語は、反証される見こみがかなり高いものだろう。うそである見こみがけっこうある。元総務相が言っていることがうそであるとすると、公の文書はねつ造ではないし、あやしいものではない。(完ぺきにではないのにしても)それなりに信用することができるようなことが記されている。

 何がかんじんなことなのかといえば、公の文書がねつ造なのかあやしいものなのかの点だけなのだとはいえそうにない。それとは別に、歴史をしっかりと重んじて行くようにする。いまかつて間の交通をしっかりとやって行く。

 歴史を軽んじて、歴史の修正主義がはびこってしまっているのが日本の国だ。その文脈から、元総務相の発言が出てきている。日本の国がかかえている負の歴史があるけど、それを都合よく修正してしまわずに、しっかりとせおって行く。

 国の負の歴史を隠ぺい化してしまわないようにしたい。物語になってしまうのはあるにせよ、歴史を重んじて行くようにすることが、日本の国にはいる。前ばかり見ないで、後望(retrospective)をしっかりとやって行くようにしたい。

 参照文献 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『歴史学ってなんだ?』小田中(おだなか)直樹 『なぜ「話」は通じないのか コミュニケーションの不自由論』仲正昌樹(なかまさまさき) 『高校生と考える希望のための教科書 桐光学園大学訪問授業』桐光学園中学校、高等学校編