共産党の、良さと悪さ―良い行ないと、悪い行ないと、そのちょうじり(さし引き)

 共産党のやっていることは、良いことなのか、悪いことなのか。

 日本共産党が言ったりやったりしていることを、良いことと悪いことの二つに分けて見てみたい。

 良いことを言ったりやったりする。それは限定化されやすい。そこまで高く評価づけされない。

 悪いことを言ったりやったりする。それは一般化されやすい。悪いことはすぐに広まる(Bad news travels fast.)。

 すごく良いことを言ったりやったりしているのが、共産党だ。平和をうったえたり、日本の国の軍備の拡張のうごきを批判したりしている。

 たとえすごく良いことを共産党が言ったりやったりしているのだとしても、その良いことは、限定化されることになる。そこまで評価づけされない。そこが悲しいところだ。

 過小の評価(underrate)になってしまっているのが、共産党が言ったりやったりしていることだろう。すごい良いことを言ったりやったりしているのに、それがあまりむくわれていない。原因と結果の応報律で見たら、そう見なせそうだ。

 自民党は、共産党とはちがって、過大に評価(overrate)されすぎている。良いことを言ったりやったりするのがほとんど無いのが自由民主党だ。悪いことを言ったりやったりするのはいっぱいしているのが自民党だ。

 きびしいのではなくて、甘く見なされているのが自民党だから、自民党が悪いことを言ったりやったりしても、それが見逃されやすい。悪いことは一般化されるのがあり、それは自民党のなしている負のことにも当てはまるけど、甘く見逃されて許されているところが大きいのである。特権化しているのだ。

 党の上の長を批判した党員を除名したのが共産党だが、それはどちらかといえば、悪いことに当たる見こみがある。除名したことは、共産党にとっては自分たちが良いことをしたのだとしている。そうではなくて、除名したのは悪いことなのだと見なす人もまたいる。

 悪いことは一般化しやすいから、除名をしたことについて、共産党が悪いことをやったのだとするのが広まりやすい。良いことと悪いこととを比べてみると、良いことは限定化されるから(たとえたくさん良いことをやっていたとしても)それが広まりづらくて知られづらい。悪いことは一般化されるから、広まりやすくて知られやすい。叩かれやすい。

 悪いことは一般化されやすいのをくみ入れてみると、共産党がやるべきことは、除名したことを自己正当化したり自己合理化したりすることだとは言い切れそうにない。自己の正当化や自己の合理化をするのではなくて、もうちょっとちがう点から見てみるようにする。

 信頼の点からすると、日本の中で、共産党はすごく信頼されているのだとはいえそうにない。一部の人たちからはすごい信頼されているのが共産党だ。一部だけにかぎられているのがあり、それよりも、不信やさい疑で見られているのが小さくない。

 不信やさい疑で見られているのが共産党にはあるから、そこを改めて行くようにして、日本の中で、信頼されるようにして行く。すごく良いことを言ったりやったりしているのが共産党なのだから、共産党にたいして不信やさい疑をいだくほうが悪いとすることもできるけど、それだと日本の中で共産党が信頼されるにはいたりづらい。

 日本の中で、不信やさい疑で見られるのではなくて、もっと信頼されるように努めることがあって良いはずだ。党のあり方を、閉じるのではなくて、開かれたあり方にしたほうが、不信やさい疑が少なくなり、信頼されるのが高まりやすい。

 不信やさい疑を少なくして行き、信頼を高めて行くのにおいて、社会関係資本論をもち出せる。社会関係資本論では、政党でいえば、その政党の統治(governance)のあり方がきちんとしたものなのかを問いかけて行ける。統治のあり方をよくして行って、より開かれたあり方にして行く。

 負のところがあるのが社会関係資本(social capital)であり、集団の内部の結束(bonding)を強めすぎてしまう。集団の外のものとの橋わたし(bridging)がなされづらい。内部の結束が強くなりすぎて、橋わたしができていないと、社会関係資本の負ややみのところが出てしまう。そこを改めるようにして行きたい。

 参照文献 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『環境 思考のフロンティア』諸富徹(もろとみとおる) 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信