共産党は、民主のやり方で長をえらぶべきなのか―集団の統治(governance)と、思想の傾向

 政党の長を、民主のやり方でえらぶ。日本共産党は、民主のやり方で政党の長をえらんでいない。それを言い、民主のやり方で長をえらぶべきだと言った、共産党の関係者が、共産党から除名されたという。

 政党の長のえらび方について、問題の提起をした人が、共産党から除名されたが、そのことについてをどのように見なせるだろうか。

 自分の政党について、問題の提起をした人が、党から除名されてしまった。なぜそうしたことがおきたのかといえば、こうした見かたがなりたちそうだ。

 三つの点から見てみられるのがある。現実、政党、(政党への)批判者だ。批判者は、政党のあり方を批判したことで、政党から除名されてしまったのだ。

 現実とぴったりと合っているのが政党なのではなくて、現実からずれがある。そのずれを、批判者はさし示して、批判をした。現実とぴったりと合っていなくてずれているのがあることについて、問題の提起をしたのが批判者だ。

 政党は、批判の声をあげて、問題の提起をした批判者を、除名した。政党から排除したのである。これは良いことだったのだとは必ずしも言えそうにない。批判者が言っていることが正しいことである見こみは少なからずあるだろう。

 現実とはぴったりと合っていなくてずれているのが政党であり、思想の傾向(ideology)をもつ。批判者もまた思想の傾向をもっているのはあるけど、それはお互いさまである。批判者がもつ思想の傾向だけを、悪いものだと見なしたのが、政党だ。

 共産党は、自分たちが思想の傾向を持っているのだから、そのことをしっかりとくみ入れるようにして、自分たち(共産党)を反省するべきではないだろうか。

 どういうことを批判者が批判したのかといえば、共産党が思想の傾向を持っていて、それが現実とずれているのを言った。現実とはぴったりとは合っていなくてずれているのをさし示したのが批判者だろう。

 批判者を党から除名して、排除してしまうと、党がもっている思想の傾向がそのままになってしまう。思想の傾向が固定化して、温存されてしまう。それは良くないことである見こみがある。悪いことであるおそれがある。

 共産党が絶対に正しいのでもなく、批判者が絶対に正しいのでもないといったように、どちらかだけを絶対に正しいものだとはしないようにして行く。批判者を排除するのではなくて、批判の声の中で言われていることをしっかりと聞き入れるようにして、党と批判者とのあいだで、建設的で生産性があるやり取りの交通がなされればよいのがある。

 批判者を党から排除するのは、交通では反交通に当たるものだが、それをやってしまうと、現実とずれている思想の傾向を党が持ちつづけることになってしまう。批判者は、党がもっている思想の傾向の悪いところを、さし示してくれた見こみがある。

 共産党がもつ思想の傾向の負のところをさし示されたことは、共産党(の上の人たち)にとっては耳が痛いことかもしれないが、現代思想でいわれる薬と毒の転化(pharmakon)がある。耳が痛いことつまり毒は、薬に転じることがあり、ことわざでは良薬は口に苦しとされる。薬に転じることがあるから、たとえ味は苦いのにしても、毒は大事なものだ。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『こうして組織は腐敗する 日本一やさしいガバナンス入門書』中島隆信 『変われない組織は亡(ほろ)びる』二宮清純(せいじゅん) 河野太郎