日本と韓国のあいだの歴史戦と、負けることの効用―勝ったものが作る歴史は正しいのか

 日本と韓国とのあいだで、歴史戦をたたかって行く。日本の国を悪く言うような歴史の見なし方とたたかって行く。

 日本が歴史戦をたたかって行くさいに、そこでの勝ちと負けはいったいどういったことで決まるのだろうか。

 歴史戦における勝ちと負けを、力(might)と正しさ(right)の点から見てみたい。

 勝ちと負けにおいては、歴史戦に勝つのと、勝ったものが歴史をつくるのとの二つがある。

 勝ったものが歴史をつくるのは、しばしば行なわれることだ。勝ったものが歴史をつくるのは、力をもつものが歴史をつくることであり、それは正しさとは別のものだと言える。

 場合分けをして見てみられるとすると、勝つものや力のあるものが正しいとはかぎらず、まちがっていることがある。負けるものや力を持たないものがまちがっているとはかぎらず正しいことがある。

 歴史を自分たちで作ることができるほどに力があるのであれば、自分たちの非をわざわざ認めることはあまりない。自分たちの非を認めないで、自分たちを正当化して行く。自分たちを合理化して行く。自分たちのことをよしとする形で歴史を作って行く。そういったふうになりがちだ。

 勝つことができるような力をもつものが歴史をつくると、正しい歴史になりづらい。正しい(justice)歴史は、ちょうどのもの(just)であることがいるが、そこからずれてしまい、偏向がおきてしまう。かたよりがない中立にはならない。わざわざ自分たちの非を認めることは行なわれづらいから、偏向がおきることになる。ちょうどのものにはならない。

 勝ったものが正しくて、負けたものがまちがっているとするような偏向がおきる。どうしても偏向がおきてしまい、ちょうどのものにはならずに、正しさからずれてしまう。できるだけ自分たちの非を認めないようにして、自分たちを正当化や合理化しようともくろむ。いかに自分たちは正義なのかを示して行く。

 歴史戦で日本が勝とうとするのは、日本が自分たちのことを正当化や合理化したいだけだろう。それをもくろんでいることが大きい。日本が自分たちの非を認めたくない。勝って力をもてば、それができるが、たとえそれができたところで、ちょうどのものにはならずに偏向がおきる。ちょうどの正しさにはならない。

 いかに日本が(自国が)正義なのかを示して行くのだと、かくあるべきの当為(sollen)のあり方になる。そのかくあるべきの当為によって、戦争につっ走っていって、日本の国は大きな失敗をおかした。戦争で負けることになった。その事実は動かしがたいものだろう。

 正義によっていたのが、それが転化してしまい、まちがった方向に向かって国がつっ走って行き、戦争で負けることになった。このことをくみ入れるのだとすれば、正義のもつ危なさを見てとれる。かくあるべきの当為によってつっ走って行くことが悪くはたらく。

 ちょうどの正義によるのではなくて、ちょうどではない方に向かってずれつづけていってしまう。ちょうどの正義を目ざしていたつもりが、その逆にちょうどではないほうにずれつづけて行く。ずれがどんどん大きくなって行く。日本が自分たちの正義を示そうとすればするほど、かえってちょうどの正義から遠ざかり、ちょうどではないずれた方に向かっていってしまう。

 ちょうどではない方にずれるのを防いで行く。できるだけちょうどの正義になるようにして行く。そのためには、かくあるべきの当為によるのではなくて、かくあるの実在(sein)を見て行く。かくあるの実在をとり落とさないようにして行く。実在のところをできるだけていねいに見て行く。

 かくあるの実在のところを見てみれば、日本の国にさまざまな非があることはいなめない。戦争で負けたことは大きな非だが、それをふくめて、そのほかにもいろいろな非をかかえもつ。それらの非をとり上げて行く形で、日本は自国の歴史をつくるようにする。じかに日本の正義をしめすのではないようにする。日本の国がいかに正義なのかをじかには示さない。

 勝っても偏向することは避けられないのだから、負けたほうの立ち場に立って、日本は歴史を作って行く。勝つのではなくて、負けるようにして、負けた立ち場として日本は歴史をつくるようにする。自国の負けっぷりを見るようにして行く。

 負ける立ち場に身をおいて、そこから逆に光を当てて、自国や他国のいろいろなことのおかしさを照らし出すようにして行く。そういったこともできるだろう。負けた立ち場に身をおけば、そこではじめていろいろに見えてくるものがあるから、日本は歴史戦で負けたほうがよい。勝つのではないほうがよい。どのみち勝ったとしても偏向した歴史を作るのにすぎない。

 参照文献 「いま、敗者の歴史を書くべきとき(戦後五〇年目の年 日本の論壇)」(「エコノミスト」一九九六年一月二・九日合併号)今村仁司 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし)