国民や、国民の多数はつねに正しいのか―国民とはいったい何なのか

 国民は正しい。国民の多くが言っていることが正しい。はたしてそう言うことは言えるのだろうか。

 国民のことを正しいとしてしまうと、心理学でいわれる内集団ひいきの認知のゆがみがはたらいてしまう。

 内集団に属している国民は正しくて、そこから外れている外集団に当たるものはまちがっている。外集団に当たるものとして、国民からは距離があるような、学者や知識人はまちがっている。そう見なすことになる。

 内集団に属しているのが国民だが、その国民は実体としてあると言えるよりは、構築されたものだと言える。内集団と外集団のあいだの境い目の線引きを、きっちりとは引くことができづらい。たしかに国民がいるのだとは言い切れないところがある。世界がグローバル化していて、内と外とがたがいに流通し合っている。内と外とが複合の相互の依存になっている。

 いると言えばいるが、いないと言えばいないとも言えるのが国民だろう。構築された形であるのが国民だから、何か核となる不変の本質をもったものだとは言えそうにない。

 非国民や反国民があることで、はじめてなりたつのが国民だ。国民ではないものがなければ、国民もまたない。国民ではないものが、国民をなりたたせているのだ。国民ではないものによって支えられているのが、国民だ。

 政治の二大の要素にはお金と言葉による語りがあるが、そのうちの一つである語りにおいて、語られるものとしてあるのが国民だ。政治では、国民が語られるが、そのさいに持ち出される国民は、えてして都合よく持ち出されることが多い。

 語りにおいて持ち出されるのが国民だが、そのさいに、うしろだてとして国民が用いられることになる。こんなにも国民のことをくみ入れているのだといった形で用いられる。

 語りにおいて持ち出すことができるのが国民だが、あらためて見てみると、かくある国民の実在(sein)はさまざまだ。実在においては、国民はさまざまにいるのだから、それらのすべてをくみ入れることはむずかしい。

 時間のちがいで言えば、過去と現在と未来がある。現在にまとをしぼったとしても、国民にはいろいろな人たちがいるから、そのすべてをくみ入れることはできづらい。国民の中には、いろいろな他者がいる。現在だけでもそれが言える上に、過去の国民や未来の国民もいる。過去の国民や未来の国民は、他者性がより大きい。過去の国民や未来の国民は、(自国の国民ではなくて)他国の国民であるのだと言っても、そう言いすぎではない。

 語りで用いることができるのが国民だけど、国民と国民ではないものとの線引きはきっちりとは引きづらいし、国民をくみ入れて、国民ではないものをくみ入れないのでよいのかがある。国民だけではなくて、国民ではないものをくみ入れないとならないのもあるだろう。国民ではないものを切り捨ててしまうのはよいことだとは言えそうにない。国民ではないからといって、猫や犬などの動物はどうでもよいとは言えないし、植物や自然の環境はどうでもよいのだとも言えそうにない。

 げんにそこに確かにいるのが国民だと言えるのであるよりも、あらためて見ると、よくわからないのが国民だと言えるだろう。あやふやさがあり、多義であるのやあいまいさがある。

 国民とは距離があって、国民性がうすいのが学者や知識人であるのだとしても、それだから駄目なのではなくて、かえってそれだからよいとも言える。そんなに確かなものだとは言えないのが国民なのだから、むしろ、国民から離れていたほうがよいとも言える。

 そのときどきの国民の民意の反映の度合いがうすいからといって、それをもってしてすなわちまったく駄目だとは言い切れないだろう。反映の度合いが濃ければ濃いほどよいのだとは言い切れないのがある。反映の度合いが濃いとはいっても、それは政治における語りで言っているのにすぎず、ほんとうに正確に反映しているのかには疑問符がつく。

 民意の反映の度合いが濃いものだけだと、その民意が暴走したときに歯止めをかけづらい。受けがよいことを政治家が言って、民意が暴走したさいに、いかに抑制をかけられるのかがかぎになる。民主主義では多数派による専制がおきてしまう。民意の反映の度合いがうすいものによって、抑制と均衡(checks and balances)をかけて行く。

 国民から離れていたほうが、国を超える(越える)ことができるから、国際性を持てる。国や国民は不たしかなものであり、国を超えてしまえば、その不たしかさを少しは見やぶりやすい。語りでしばしば持ち出されるものである国や国民を、カッコに入れやすくなる。

 国や国民は、自でもあり他でもあるところがあり、自国でもありかつ他国でもあるといえて、自国の国民ともいえるが他国の国民(他者)だともいえるのがあるだろう。他国や他者としても、自国や自国の国民のことをながめられる。自分を異邦(人)化してみることもできる。異化してみることがなりたつ。

 参照文献 『政治家を疑え』高瀬淳一 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『日本人はなぜ存在するか』與那覇潤(よなはじゅん)