ヒトラーに例えることと、外国の表象のしかた―西洋の国々の表象と、そのじっさいのありよう

 ヒトラーに例えるのはよくない。国際法または国際的にそれは禁じられている。よくないことだとされている。野党である日本維新の会はそう言っていた。

 維新の会の関係者は、ヒトラーに例えられたが、それはやってはいけないことなのだろうか。それを見て行くさいに、反例がないかどうかを探して行く手をとれる。維新の会が言っていることの反例を探して行く。

 維新の会が言っていることを、式にしてみると、こうしたことがなりたつ。(日本の国ではないそれ以外の)西洋の国々であるのならば、ヒトラーに例えることは行なわれていない。西洋の国々であるのならば、法の決まりとしてヒトラーに例えることが禁じられている。西洋の国々であるのならば、ヒトラーに例えることをよくないことだとしている。

 式にしてみると、西洋の国々であるのならば、何々だの形をとれる。この式における反例をさがすさいには、式のうしろのところである、何々だの反対となるものを探して行く。何々だには当てはまらないような、何々ではないものをさがす。

 式における反例を見つけることができれば、維新の会が言っていることは正しくなくてまちがっているおそれが出てくる。じっさいとはちがうことを維新の会が言っていたことがわかってくる。

 じっさいの西洋の国々は、直接の現前(presentation)だが、そのじっさいのありようを維新の会が言っているのだとはかぎらない。じっさいのありようとはずれたものとして表象(representation)していて、構築しているおそれがある。表象されたものと、じっさいのものとのあいだにずれがあるのなら、表象のしかたにまずさがある。

 表象とはちがって、じっさいのありようがどうなっているのかを見てみれば、表象とのずれが浮かび上がってくることがある。縦と横において、そのそれぞれの事実を見て行く。縦は、かつてといまの間の交通だ。横は、いまにおけるありようだ。縦は通時であり、横は共時だ。縦の通時と、横の共時において、そのそれぞれの事実を見て行く。そうやって行き、反例を探して行く。

 縦と横において、事実を見ていって、表象されているものとのずれを見て行けば、じっさいのありようとはずれた表象になっていることが少なくない。維新の会は、じっさいの西洋の国々のありようとはずれた形で、西洋の国々を表象したうたがいが高い。そこにまずさがある。

 すごい正確に西洋の国々を表象したのであれば、じっさいのありようとのずれは小さいだろう。大きな物語だ。維新の会が言ったのは、大きな物語であるよりも、小さな物語を言ったのだと言える。小さな物語であるのを、あたかも大きな物語であるかのようによそおったのだ。

 大きな物語であるのならば、そこで言われていることの反例をあまり見つけづらい。小さな物語であるのならば、あまり正確性が高いとは言えないから、そこで言われていることの反例をいろいろに見つけられる見こみがある。維新の会は、だいたいにおいて小さな物語を言っていることが多いから、言っていることの反例を見つけられることが多いだろう。

 縦と横において、そのそれぞれで事実を見て行けば、維新の会が言っていることにたいする反例をいろいろに見つけられる。反例がいくつもあるのであれば、かなり小さい物語だと言わざるをえない。とうてい大きな物語だとは言えないが、それをあたかも大きな物語であるかのように大きな声で言ったのが維新の会だ。小さな物語を大きな声で言っているのだ。

 維新の会とは別に、日本の国のいい加減さとしては、日本の国には日本の国のあり方があるのだから、西洋の国々が正しいとはかぎらないとされることがあることだ。日本にとってつごうのよいときだけ、日本では西洋の国々が正しいものとして持ち出される。

 場合分けをしてみると、西洋の国々だからといって、それがすべて正しいわけではない。西洋の国々にも(日本と同じように)まちがっているところは少なからずある。西洋の国々にもよいところと悪いところがあり、日本にもよいところと悪いところがある。西洋の国々だから何でもかんでもよいとは言えないのとともに、日本だから何でもかんでもよい(または悪い)とも言えない。

 日本と西洋の国々とのあいだで、あり方が同じであるような双交通ではなくて、日本には日本のあり方があるとしていて、あり方にちがいがある反交通になっている。日本の反交通のあり方が批判されることがいり、日本のあり方をよい方向に改めるような反省が日本には足りていない。

 反省が足りていないのと、日本と西洋の国々(または日本ではないそれ以外の国々)とのあいだで比較をして見て行くのもできていない。反省や比較がされていないから、日本のあり方にあるいろいろな悪さを改めることがなく、悪いあり方が放ったらかしになっている。

 日本の外においては、日本はアメリカやイギリスのほんの一部分や一面しか見ていなくて、ほんのちょっとしかよいところを見習っていない。きびしくいえば、異文化との深い交通がほとんどできていなくて、反交通になっていて、自文化中心主義(ethnocentrism)なのが日本だと言えそうだ。

 参照文献 『新版 ダメな議論』飯田泰之(いいだやすゆき) 『勝つための論文の書き方』鹿島茂 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『発想のための論理思考術』野内良三(のうちりょうぞう)