なぜ政権は日米地位協定を改定しようとしないのか―憲法の改正よりもより優先されることがいる

 アメリカとの日米地位協定を改定するつもりはない。与党である自由民主党岸田文雄首相はそう言っている。

 アメリカ軍が駐留する米軍の基地がある沖縄県などで、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が増えている。米軍の基地では、そこにやって来るアメリカ軍の兵士に、ウイルスの検査をしていなかった。日本の水ぎわの対策のもれや盲点となるものが、米軍の基地だったと見られる。

 沖縄県で、新しいオミクロン株などのウイルスへの感染が増えていることで、沖縄県の県知事を批判する声が一部でおきている。この批判は的がずれているところがある。沖縄県の県知事ではなくて、アメリカが批判されるべきだろう。またはアメリカに甘い日本の政権が批判を受けるべきだ。

 日本の中で、米軍の基地はアメリカの国土のようなものであり、アメリカが支配しているのだから、アメリカに責任がある。アメリカは無責任なのがあり、日本を対等ではなくて下に見ている。それは日米地位協定がわざわいしているのが大きい。アメリカが上位に立っていて、日本が下位に置かれている。日本はアメリカの属国であるような附傭(ふよう)となっている。

 比較の点から見てみると、ウイルスの感染がなかったとしても、日米地位協定は改定されるべきなのがある。もとから改定されることがいるのだから、ウイルスの感染がある中では、なおさらそれがいることになる。より強い理由(a fortiori)によっていることになる。

 自民党憲法の改正にやっきになっているが、それよりも日米地位協定を改定することのほうがより重要性が高い。自民党はやっていることがあべこべだ。いまの日本の憲法は、すべての日本の国民にとくに害や損になっているとは言えず、すべての国民の幸福をさまたげているとは言えそうにない。

 憲法とはちがい、日米地位協定は、すべてのとは言えないが、一部の国民に害や損をもたらしていて、幸福のさまたげになっている。米軍の基地があるのは動かしがたい現実であり、そこから一部の国民にとって害や損がおきているのがあるから、社会問題であるととらえられる。客観として悪いとは言えず、主観で構築された形ではあるが、そこに悪さがあることが見て取れる。じっさいに米軍の基地からウイルスの感染が広がったことは否定できそうにない。

 岸田首相が言っていることをとり上げてみると、首相が言うように、日米地位協定の改定はとくにいらないのだとすれば、憲法の改正はなおさらいらないと言える。より強い理由によって、日米地位協定の改定よりも、憲法の改正のほうがよりいらないことだ。じっさいに国民に害や損をもたらしていて、国民の幸福のさまたげになっているのはどちらなのかと言えば、それが憲法なのだとは言えず、米軍の基地であり、日米地位協定なのだと言える。

 先かあとかでは、憲法のことはあと回しでもよくて、それよりも先に日米地位協定の改定をやることがいる。あと回しでよいものなのにもかかわらず、憲法の改正をもっとも優先してやろうとするのであれば、なにを先決の問題として片づけなければならないのかを取りちがえている。先決となる問題は、日米地位協定の改定をふくめて、ほかにもたくさんあるのであり、それらよりも憲法の改正を優先させるのであれば、修辞学でいわれる先決問題要求の虚偽に広い意味ではなっているといえる。

 参照文献 『社会問題とは何か なぜ、どのように生じ、なくなるのか?』ジョエル・ベスト 赤川学監訳 『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』香西秀信