大国どうしの対立と、そこで必要とされること―構築主義から見てみる

 ウクライナをめぐって、アメリカとロシアが対立し合っている。ウクライナをめぐる米露の対立があるなかで、それぞれの国の高官が、来年のはじめに話し合いをすることになった。

 アメリカとロシアや、アメリカと中国は、国どうしが対立し合っているが、そこでいることとはいったいどういったことだろうか。そのことについてを構築主義(constructionism)から見てみたい。

 アメリカが完ぺきに正しく善であり、ロシアや中国は完ぺきに悪でまちがっている。そういった形で正しさや善と悪やまちがいを二分法によって一か〇かや白か黒かできっちりと分けることはできそうにない。アメリカは正義で、ロシアや中国は不正義だとして完全に基礎づけたりしたて上げたりはできづらい。

 構築主義では、アメリカにはアメリカがもつ枠組み(framework)があり、ロシアや中国にはそれらの国がもつ枠組みがあることになる。枠組みがちがえば、正しいとされることがちがってくる。なにが正しくて何がまちがっているのかは、枠組みによって決まるところがある。

 アメリカの枠組みからすれば、アメリカが正しいことになるが、それを持ち換えてみて、ロシアや中国の枠組みから見てみれば、ロシアや中国にもまた一理あることになる。アメリカが言っていることだけが正しいとは言えず、ロシアや中国の言っていることにもまたそれなりの理があり、いくつもの理屈がなりたつ。フランス語でいわれる、それもまた一つの理屈だ、の意味の、チュ・ア・レゾン(tu as raison)と言えるのがある。たった一つの理屈だけが正しいのではない。

 ちがう枠組みからすれば、ちがう正しさが言えることになり、それもまた一つの理屈であることになる。その中で何がいるのかと言えば、対話をして行くことだろう。アメリカとロシアや、アメリカと中国とのあいだで、対話を行なって行き、交通し合う。交流を深めて行く。

 構築主義からすると、枠組みには人為の構築性があり、その枠組みから現実を見ることになる。構築された枠組みから現実を見ることになるが、それとはまたちがうようにも現実を見ることができて、現実をとらえ直すことができる。ちがう構築のしかたによって現実を見ることができるから、あらためて構築し直すようにして現実を見て行くことができる。

 ちがう枠組みどうしのあいだでどんどん対話をして行き、枠組みどうしのあいだの共通点と相違点を浮かび上がらせて行く。相違点を少しでもすり合わせて行く。世界の平和のためにはそれを行なって行くことがいる。

 たがいのあいだの共通点としては、構築主義から見てみると、どちらにおいても人為で構築された枠組みからものを見ているのがある。いったんつくり上げられた現実の見なし方を、ふたたびつくり直してとらえ直すことがなりたつ。

 一つの枠組みの中を超えて、その外にまで正しさがおよぶとは言えず、あくまでも枠組みの中に限定された正しさしか持てない。そのしょうこに、一つの枠組みの外にはちがう枠組みがあり、アメリカとロシアや、アメリカと中国とのあいだでは、おたがいに対立し合うことになっている。枠組みの内を超えて、外にまでは正しさはおよびづらい。

 いっけんするとたがいに相違点があるようではあるが、あらためて見るといろいろに共通点があることが見えてくるのが、アメリカとロシアや、アメリカと中国とのあいだの対立だろう。対立し合っている国どうしは、どれもが人為に構築された枠組みによっている点で共通点をもつ。

 ちがいがあるようでいながら、同じようなところがあり、似た点をもつ。大きなちがいがあるようでいながら、じっさいには似かよったところがあるのだから、対立し合う国どうしで対話をして行き、交通し合うようにして、交流を深めて行く。

 対立し合う国どうしのあいだで対話が欠けてしまっているから、うまい交通ができていない。交通をうまい形で行なうようにして、よりよいあり方になるようにして、世界の平和をなして行く。まずい交通のあり方になってしまっているのを、改善するようにして、大国どうしが対話をして行く中でよい交通のあり方にすることができるかどうかがかぎになってくる。

 参照文献 『現実はいつも対話から生まれる 社会構成主義入門』ケネス・J・ガーゲン メアリー・ガーゲン 伊藤守監訳、二宮美樹翻訳統括 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『現代思想を読む事典』今村仁司