ウイルスの感染の拡大と五輪―五輪はその原因なのかそうではないのか

 いま日本の社会ではウイルスの感染が増えている。医療が崩壊することが言われている。その中で東京都でひらかれているのが五輪だ。ウイルスの感染が増えていることと五輪とは関係がないことなのだろうか。

 五輪をひらいたことによって、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が増えたのではない。そう言われているのがあるが、そのことについてを修辞学の議論の型(topica、topos)の因果関係からの議論で見てみられる。

 五輪とウイルスの感染が増えていることとが関係がないのだとするのは、因果関係からの議論で言うと、その二つのあいだに因果関係がないことだ。

 結果として現実にウイルスの感染が増えているのがある。結果としてそれがおきているのがあるから、その点については事実として見なすことがなりたつ。事実として見なせるので、議論の土台にすえられる。

 ウイルスの感染が増えていることの原因であるのが五輪なのかどうかは、見かたが分かれるところだろう。五輪に原因があるのであれば、原因が五輪の内にあることになる。五輪に原因がなければ、原因が五輪の外にあることになる。

 原因を五輪の内と外のどこに帰属させるのがふさわしいのかがあり、どちらかにはっきりと帰属できるのかは定かではない。内に帰属できるのもあるだろうし、外に帰属できるのもまたあるだろう。

 現実としてウイルスの感染が増えているのは事実と言えるものだから、これは議論の土台にすえられるものだ。その土台の上に乗せるものとしてあるのが、五輪に原因があるのかどうかだ。五輪に原因があるかどうかは、土台にすえられるほどしっかりとしたものではないから、見かたが分かれるものである。

 まちがいなく五輪は原因ではないとする見かたもあるが、そうであるとすると、それが土台にすえられるほどしっかりとしたものだといったことになる。まちがいなくそうだと言えるほどには、確からしさが欠けているのがある。上からの演繹によるよりは、下からの帰納によって見て行くのがふさわしい。

 上からの演繹であれば、五輪は原因ではないときっぱりと言い切れる。そこにはちがう見かたが入りこむすき間がまったくない。そこまできっぱりと言い切れるのかといえば、そうは言えそうにない。何々であるだろうといったことで、下からの帰納によるのが適している。

 土台にすえられるほどしっかりとしたものであるとはいっても、結果としておきているウイルスの感染が増えていることにしても、上からの演繹であるよりは下からの帰納によるのが適している。ウイルスの感染が増えているのはほぼ事実だと言えるほどのものだが、そうだからといって、それは絶対の真理とまでは言い切れず、ほぼ確かだといったことであり、確からしさが高いといったことにとどまる。

 因果関係において、結果と原因があるが、結果であるウイルスの感染が増えていることは確からしさが高い。それでも、結果についてを上からの演繹ではなくて下からの帰納によって見るのがふさわしい。確からしさがわりあいに高いものである結果についてそう言えるのだから、確からしさがより低いものである原因についてはなおさらそう言えるのがある。

 修辞学の議論の型(topica、topos)の比較からの議論によって見てみられるとすると、結果よりも原因のほうがより確からしさが低いので、原因が何かについてを見て行くさいには、きっぱりと言い切ることができづらい。比較すると結果よりも原因のほうが確からしさが低いから、結果で言えることは原因にはなおさらそう言えることになり、結果を帰納で見るべきなのであれば原因はなおさら帰納によって見るべきである。

 実用主義(pragmatism)によって見てみられるとすると、五輪は巨大なもよおしだから、そのすみからすみまでを自分ですべて確かめることはできづらい。どういうことが行なわれているのかを自分ですべて確かめることはできないから、おかしなことやまちがったことが行なわれている見こみがある。すべてを知りつくしたうえでこうであると自分が見なすことはできづらく、わからないところが色々にあるのを避けづらい。

 いろいろな要因がもとになってウイルスの感染が増えている。そのもとの一つとしてあげられるのが五輪だろう。どういうことが要因になってウイルスの感染が増えているのかを見て行くさいには、いくつもの要因の集合を体系(system)としてとらえて行く。MECE(相互性 mutually、重複しない exclusive、全体性 collectively、漏れなし exhaustive)である。まったく五輪が要因にはなっていないとするのはやや苦しいのがあり、少なくとも要因の集合の中に含まれている。体系として見たらそう言えるのがありそうだ。

 参照文献 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『増補版 大人のための国語ゼミ』野矢(のや)茂樹 『十三歳からの論理ノート』小野田博一