五輪と日本の国とふり子の両極性―過大化と過小化

 東京都で夏に五輪がいまひらかれている。ウイルスの感染が日本の社会の中に広がっている中で五輪が行なわれている。

 五輪とウイルスの感染の広がりには共通点があるとするとそれはどういったものだろうか。共通点としては、ともに呪われた部分に向き合わざるをえなくなっているのがある。

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が広がっていることで、日本の社会は過大化から過小化に移っていっている。過小化になっていることで危機におちいっている。その危機を乗りこえられなければ社会が保てなくなって崩れることになる。

 人間は過剰な活力をもつ。過剰な活力をもっていることから過大化がおきる。過大の極に振れすぎると、ふり子が反対の方向に動くように、反対の極へ向かう。過大の極から過小の極へ動く。

 両極性(polarity)があるなかで、ふり子の二つの極がある。過大は生であり過小は死だ。過小が行きつく先は死であり、社会においては社会が保てなくなって崩れることになる。

 経済においては景気がよくなるのと悪くなるのとの波動をえがく。景気がよくなりっぱなしで、ずっとよくなりつづけることはありえづらい。よくなったものは悪くなる。経済で使われるお金はもともとはただの紙きれであり、幻想や嘘によってなりたつ。お金には穴が空いているために、価値が暴落してゼロになることがおきることがある。もともとのただの紙きれに戻る。

 資本主義の経済につきものなのがバブルがおきることだという。資本主義においてバブルがおきてそれがいつかは崩れることは確かなことだとされているが、いつの時点で崩れるのかはわからない。学者のジョン・ケネス・ガルブレイス氏はそう言っている。両極性のふり子が過大化の極に振れて、そのあとに反対の過小化の極に大きく振れるのがいったいいつの時点なのかまではわからない。

 一つの極だけでなりたっているのではないから、どんどん過大の極に向かっていってそれが保たれつづけるのではない。過大の極に行きつくことによって、それが反転して過小の極に向かうことになる。二つの極のあいだをふり子が動くように行き来する。

 かならずウイルスの感染の広がりを抑えこめるとは言えそうにない。ウイルスに打ち勝てることが約束されているとは言い切れないから、過小の極から過大の極へ向かうことができるかどうかは確かではない。いまは過小の極に向かっているさいちゅうであり、その行きつく先には死が待っているかもしれない。社会が保てなくなって崩れることになる。

 五輪は過大化の極に向かうことに適合するもよおしだ。過大化の極に合ったものだから、過小化の極に向き合うさいにさまたげになっている。五輪そのものが過大化から過小化に向かって行っているのもまたあり、五輪がかかえている呪われた部分に向き合わざるをえなくなっている。

 まちがいなく過小の極から過大の極に転じられるとはかぎらない。過小の極の先には死が待っていて、破局(catastrophe)がおきることになる。

 それほど大したことがないものであれば、過小の極に向かっているとはいっても、わりあいたやすく過大の極に転じやすい。過小の極の先に待っている死や破局をまぬがれやすい。乗りこえることができやすい危機だ。

 なかには乗りこえづらい危機もある。乗りこえづらい危機であれば、それを乗りこえることが約束されているとまでは言えそうにない。過小の極に向かっていっているさいに、どれだけ呪われた部分にまともに向き合うことができるかが試される。

 過小の極のさいちゅうに呪われた部分にうまく向き合うことができなければ、下手をすれば大きな失敗が引きおこることになる。人であれば死ぬことがあるし、社会であれば社会が保てなくなって崩れることがある。

 はたして日本の国は過小の極から過大の極にうまく転じることができるのかといえば、はなはだ心もとない。運を天に任せるといったところがある。風まかせといったところがある。神風の神話で神風が吹いてくれることにすがるようなふうになっている。

 日本の国はこれから先に大きく右肩上がりになることはのぞみづらく、超高齢化と少子化で人口が減って行くから過小の極に向かっていっている。このまま進めば日本の国は無くなることになる。過小の極において危機があるのを乗りこえることができない。

 ウイルスの感染を抜きにしても、日本は過小の極に向かっているのがある。過大の極に適合したもよおしである五輪をひらいているどころではないかもしれない。五輪はいわば過大の極の幻想であり、そのまぼろしの幻想によって現実の過小のありようが見えづらくなっているとすればやっかいだ。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『資本主義から市民主義へ』岩井克人(かつひと) 聞き手 三浦雅士 『高校生と考える日本の問題点 桐光学園大学訪問授業』