五輪と西洋の弁証法―肯定弁証法による全体化と同一化

 五輪に反対の声をあげる。反対の声をあげる反対派は感情によっている。国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長はそう言っている。

 たとえ五輪に反対の声をあげていても、いざ五輪がはじまれば、五輪をよしとすることになる。いざ五輪がはじまれば、選手の活躍にみんながよろこぶ。バッハ会長はそう言っているが、それはほんとうのことなのだろうか。

 西洋の弁証法でいうと、肯定弁証法によっているのが五輪の関係者だ。肯定弁証法は、正と反が合にいたるとするものだ。五輪をおし進める正にたいして、反対派である反がいるが、それが合にいたる。いったん五輪がはじまってしまえば合にいたり、みんなが五輪をよしとすることになる。

 五輪の関係者が思いえがいているように、肯定弁証法のあり方が現実のものになるのかは定かではない。肯定弁証法にはならずに否定弁証法になることがある。

 否定弁証法は、正と反が合にはいたらないものだ。哲学者のテオドール・アドルノ氏による。正と反がかんたんには合にはならず、正と反のままでありつづける。矛盾がありつづけて、亀裂やみぞがおきつづける。

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)への感染が広がっている中で東京都で夏に五輪をひらく。ウイルスの感染があるなかでは、五輪の関係者が思いえがいているようには肯定弁証法は必ずしもなりたちづらい。

 かなり強い敵なのがウイルスであるとすれば、肯定弁証法がなりたつことが約束されているとは言い切れそうにない。否定弁証法になることがある。矛盾による亀裂やみぞが埋まらないままになる。

 正と反を合にいたらせるような全体化をもくろむのが五輪だ。たとえ反である反対派が反対の声をあげるのだとしても、いったん五輪がひらかれさえすれば合にいたることはまちがいがない。みんなが五輪をよしとすることになり、選手が活躍することをよろこぶ。全体化がおきることになる。

 全体化がうまく行くとはかぎらず、それに失敗することはないではない。五輪の関係者が思いえがいているように、五輪をひらくことで全体化をなすことは、もともとが正しいことだとは言えそうにない。脱全体化されることがいる。

 あたかも約束されたことであるかのように、または教義(dogma、assumption)であるかのように、いったん五輪をひらきさえすればそれをみんながよしとすることになるのかはいちがいには言い切れそうにない。ウイルスの感染がかなり増えるようであれば、みんなが五輪をよしとするのではなくなる。肯定弁証法による全体化がなりたたない。否定弁証法となる。

 全体化や同一化の強いはたらきを持つのが五輪である。正と反を合にいたらせる力の強さをもつのが五輪であり、肯定弁証法のところが強い。確実さが見こまれているのが五輪だが、あらためて見てみると、不確実性によっているのはいなめない。

 自己循環論法になっているところがあるのが五輪だ。いったい何のために全体化や同一化をなすのかが定かではない。五輪が全体化や同一化をもたらすのがあるとしても、それが何の意味をもつのかが不明である。とにかくひらくといったことで、五輪をひらくことが自己目的化しているのがある。

 うまく行けば五輪の関係者が思いえがいているようにみんなが五輪をよしとすることになるかもしれない。いったん五輪がひらかれればみんなが選手の活躍をよろこぶ。そのようになることはありえるが、確実にそうなるとは言えそうにない。確実性の土台は崩れてしまっているのがあり、不確実性によっているのがある。正と反が合にいたらないおそれがある。正と反が分裂したままでありつづける。

 正と反があるなかで、正をごういんにおし進めるのだと、反を排斥するあり方になり、多元性が損なわれる。抑制と均衡(checks and balances)がはたらかなくなる。抑えがきかなくなって正がまちがった方向に向かって暴走して行く。ものごとは、加速しておし進めるよりも、減速して抑えをきかせるべきときにそれをきかせることのほうがよりむずかしい。

 加速してものごとをおし進めるほうが受けがよくなりがちだから、正が優で反は劣になりがちだ。正によってものごとをおし進めて、それが悪くはたらいたさいには、正が反証されることになる。正が反によってあらかじめ十分に反証されることが行なわれないと、正によって大きな失敗が引きおこされることがおきかねない。あらかじめ正が反によって十分に反証されていれば、正がふくんでいるまちがいを見つけやすい。正の暴走を止めやすい。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫反証主義』小河原(こがわら)誠 『資本主義から市民主義へ』岩井克人(かつひと) 聞き手 三浦雅士 『思考のレッスン』丸谷才一宗教多元主義を学ぶ人のために』間瀬啓允(ひろまさ)編