アメリカの国にとっていったいどのようなことが国を少しでもよくすることにつながることなのだろうか―多元性の重要さ

 大統領の支持者の一部が、アメリカの連邦議会の議事堂に乱入する。それでアメリカの警察とのあいだでぶつかり合いがおきた。ぶつかり合いの中で死者が四名ほど出たという。

 アメリカの大統領だったドナルド・トランプ氏の支持者の一部が引きおこした負のできごとについてをどのように見なすことができるだろうか。人それぞれによっていろいろに見なせるのにちがいない。その中の一つとして国家主義(nationalism)のまずさを見てみたい。

 国家主義では国民と国民ではない者とのあいだに分断線を引く。われわれとかれらを分けようとする。そのことによって国の中に分断がおきてしまう。われわれが中心化されることになり、かれらが排除される。

 トランプ氏の支持者の一部は、おそらく自分たちにとってのかれらを排除しようとしたのだろう。かれらに当たるものとして中国や左派がある。かれらを排除すればアメリカの国はよくなる。かれらがいつづけるとアメリカは駄目になる。だからかれらを排除しなければならない。かれらを排除するためであれば法の決まりを破ってもよい。法の決まりに反する手段を使ってもよい。そう見なしていただろうことが察せられる。

 アメリカの国を少しでもよくするためにはどのようなことがいるのだろうか。他国のことだからせん越なことではあるかもしれないが、そのうえで言わせてもらえるとすると、アメリカの国をよくするためには国家主義を強めることがよいのだとは言えそうにない。国家主義を強めてわれわれとかれらのあいだに分断線を引くのがよいことだとは言えそうにない。

 かれらに当たる中国や左派を排除するのは、いっけんするとアメリカの国のためになるように見えるかもしれないが、そうすることによってアメリカの国の多元性が損なわれてしまいかねない。できるだけ多元性があるのがのぞましいのがあり、そのためにはたとえかれらと見なされる者であったとしてもできるだけ包摂されたほうがよい。包摂するのではなくて排除するようだと多元性が損なわれることになる。

 国のことを愛して国のことをよしとするのはいっけんするとよいことのように受けとれるが、それによってかえって国が悪くなることがおきる。国のことをよしとすることだけが許されるのだと、自発の服従の主体が国の中に多く形づくられる。政治の権力からの呼びかけにすなおに従う主体だ。自発の服従の主体が多くなると国が悪くなってまちがった方向につっ走って行きやすい。

 日本の戦前や戦時中は、ほとんどすべての国民が自発の服従の主体だった。日本の国のことをよしとすることだけが許されていた。政治の権力からの呼びかけにすなおに従う主体だけが国の中にいることが許されていたのである。それによって日本の国が悪くなって、国がまちがった方向に向かってつっ走っていって、国の内外に大きな害がおきた。

 政治の権力者だったのがトランプ氏だが、そのトランプ氏からの呼びかけにすなおに従う自発の服従の主体がいる。その自発の服従の主体が引きおこしたのがアメリカの連邦議会の議事堂に乱入したできごとだろう。これは客観から見て正当化できることだとは言えそうにない。もしもこのできごとを正当化できるのだとすれば、それはトランプ氏からの呼びかけをうのみにしていてそれが全面として正しいとしていることによる。

 何が国にとって危ないことなのかといえば、アメリカの国にとってかれらに当たると見なされている中国や左派がアメリカをだめにすることだとは言い切れそうにない。それよりもむしろもっとより危ないことは、アメリカにおいて国家主義が強まって、われわれとかれらのあいだに分断線が引かれることだろう。かれらを排除する動きが強まる。アメリカの国の中の多元性が損なわれる。それらのことのほうがむしろより危険だ。

 アメリカの国のことを愛してよしとするからアメリカの国がよくなるのではなくて、それとは逆にアメリカの国のことを愛してよしとするからアメリカが悪くなったりだめになったりすることがある。これは国家主義が強まってしまうことによる。国家主義が強まることによる危なさが十分にとり上げられていない。

 国家主義が強まってアメリカの国のことを愛してよしとすることは、アメリカの国にとっていっけんすると薬になるように見えるかもしれないが、そこには強い毒が含まれていて、薬に見えるものが毒に反転する危なさがつきまとう。その毒はアメリカの国の中の多元性が損なわれてしまうことによる。かれらに当たる者を排除するのではなくてできるだけ包摂するようにして、われわれに当たる者を中心化しすぎずに脱中心化することがあったらよい。

 参照文献 『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』松木武彦 『宗教多元主義を学ぶ人のために』間瀬啓允(ひろまさ)編 『現代思想を読む事典』今村仁司編 「ナショナリズムカニバリズム」(「現代思想」一九九一年二月号)今村仁司