選挙は盗まれたのか、それとも選挙を盗んだのか―政治家の美化と権威化と偶像化

 アメリカの大統領選挙は盗まれた。選挙で不正があった。アメリカのドナルド・トランプ大統領はそう言っている。

 大統領選挙についてトランプ大統領は不正があったと言っているが、そのトランプ大統領そのものに選挙の不正の疑いがあるのだと報じられている。トランプ大統領アメリカのジョージア州の長官に電話をかけて、選挙の結果の数字の不正をたのんだのだという。トランプ大統領に有利になるような数字になるようにジョージア州の長官に電話でたのんだのだとされる。

 ほんとうのところはどうなのかは定かではない。じっさいにはどうなのかはわからないが、トランプ大統領が言っているところの選挙で不正があったとは、自分が不正をしていたことだったのだろうか。選挙は盗まれたのであるよりも、自分が選挙を盗んでいたのだろうか。

 たとえどのようなことがおもてでは報じられていようとも、まちがいなくトランプ大統領は悪いことをやっていないとする。アメリカにとってよいことしかやっていない。そう見なすのがトランプ大統領のことを強く支持している支持者だ。あまりトランプ大統領のことをよしとしすぎてしまうと、トランプ大統領のことを美化して権威化して偶像化することにつながる。国の政治家とのあいだに適した距離がとれなくなってしまう。距離がゼロになると国の政治家のことを対象化することができづらい。

 中国や左派は悪そのもので、それにたいしてトランプ大統領は善そのものだ。そう見なしてしまうと、トランプ大統領がまったくの善そのものだといった偶像(idola、idol)になる。偶像としてのトランプ大統領は、トランプ大統領そのものとは言いがたい。主観で頭に思いえがかれているのが偶像としてのトランプ大統領だ。それは生のトランプ大統領そのものとは異なっている。

 偶像としての中国や左派を、偶像としてのトランプ大統領がやっつける。それは偶像どうしのぶつかり合いであり、現実そのものであるとは言えそうにない。現実から離れた虚偽意識におけるものだろう。

 虚偽意識がどんどん大きくなっていってしまうことになるのをうながす。主観で頭に思いえがかれた像をよしとしすぎるとそうなることにつながる。その像をよしとしすぎないようにして、像とトランプ大統領そのものとをまったく同じものだとは見なさないように気をつけたい。

 たとえどういったことをトランプ大統領が言っていようとも、どのような意図を内に持っているのかは外からはうかがい知ることができづらい。政治家は表象(representation)にすぎないものであり、国民を置き換えたものなので、国民とまったく一体のものではない。そこでいることになるのが国の政治家を対象化して距離をとることだ。

 アメリカの国をだめにしようとしている中国や左派に立ち向かう。トランプ大統領はそれをなす。中国や左派はアメリカにとって悪いものであり敵だとされることになるが、それよりもむしろより気をつけるべきなのはどのようなことが政治において政治家によって言われているのかだ。まちがった意見がまかり通ることは政治においてはなはだしく危険である。中国や左派よりもむしろ、おかしなことが政治家によって言われていて、それがうのみにされているほうが危ない。

 意識ではともかくとして、無意識にまで目を向けられるとすれば、トランプ大統領アメリカの国のことを一番に気にかけているのかは定かではない。中国や左派をきらってアメリカの国のことをよしとしているふりをしているだけかもしれない。そう見せかけているのにすぎない。

 無意識ではどうなのかはわからないことだから、トランプ大統領は無意識においては中国や左派のことがむしろ好きであり、アメリカの国のことはそれほど好きではないかもしれない。トランプ大統領がほんとうのところはどのような意図や思わくや気持ちを抱いているのかはわからないことだから、うわべとはまたちがっていることがある。それに気をつけたい。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『楽々政治学のススメ 小難しいばかりが政治学じゃない!』西川伸一 『政治家を疑え』高瀬淳一